テクノロジーの進化はすさまじいです。人工知能(AI)が人間社会を激変させるかもしれないということが、人々に意識されはじめてきました。でも、どんな世の中になるのか、人間がどうなるのかは、なかなか想像しにくいです。ホーキング博士は、「人工知能が人類を滅亡させるかもしれない」というようなことを言いましたが、ターミネーターのようなSF映画が現実味を帯びてきているのではないかと感じる人も増えています。
技術系の人は、驚くほど楽観的に見えます。バラ色の未来がやってくると。かたや、人文社会系の人は、人工知能が驚異的な進化を遂げることに悲観的であるように見えます。
技術の進化が、指数関数的に、すなわち倍々ゲームで進むと、どうなるでしょうか?
『数のふしぎ・形のなぞ』という幻の名著にこういう話がでています。
太閤秀吉が家来にほうびを取らせようとして希望を聞くと、「今日は米を1つぶ、明日は2倍の2つぶ、あさってはその2倍の4つぶ、その次はまた2倍と、50日分の米をいただきとうございます」とのこと。秀吉は、「なんと欲のないやつじゃ」と、かるく承諾。ところが、50日後には・・・。
10日目でもたったの512つぶですが、そのあたりからぐんぐん増えていき、50日目には、562兆つぶになってしまいます。1升の米が9万つぶなので、1億5000俵あまりとなり、日本中の米を集めても足りなくなってしまいます。
わかりやすい話なので紹介しましたが、指数関数的な進化とは、最初の方は、微々たる変化ですが、途中からすさまじい速度となり、しまいには計算不能な速度、つまり無限大となり、現実的にそこから先へ行けない段階がきます。テクノロジーがその段階に到達するのが2045年ごろだと、今話題になっているのが『シンギュラリティ』です。
そこで生じる事態は、私なんかの想像の外にあります。いや、想像できなくはないが、それは科学の世界ではなく、神話かおとぎ話にでてくる夢の世界、あるいは神の国、あるいは極楽浄土です。
病気はない。寿命はほぼ無限大。労働はない。エネルギーは無料で無限。食糧も無料で無限。およそ考えられる不可能はなく、ドラえもんのポケットを持つような感じでしょうか。そんな先の話ではなく、つい30年後です。そんな、あほな!!と、思うのですが、テクノロジーがすさまじい進化をしている最中であることは誰の目にも疑いなく、世の中が激変するであろうことも疑いありません。
テクノロジーの中心は人工知能ですね。
人工知能が人類を滅ぼすかどうかは人類にも未体験ゾーンなので、わかりません。人工知能がなぜ、急激に進化を遂げるか、そしてそれが成し遂げられると予測できるのか、別の観点から考えてみます。
この世は、競争原理でもなく、共生原理でもなく、エラー原理、もとい、チャレンジ原理だと、私は考えています。どこをどう見ても、たくさんのチャレンジを重ねて変化を生じていくのが、この世のあり方です。人間の社会も、個人の生き方も、そのようにしか見えません。
人工知能は、たくさんのチャレンジをして、答えを見出していく。さらにチャレンジを重ねて、答えを改善していく。エンドレスに。それを学習機能というのですが、コンピュータの性能が向上するにつれ、よりたくさんのチャレンジができ、よりたくさんの改善ができます。そのサイクルを拡大し、時間を短縮していきます。
人工知能の原理は、自然の原理そのものです。だから、猛烈な進化が可能になるのだと、見ています。
すると、人類の立ち位置はどうなるのでしょう? そこなんですよね、問題は。