015 豊葦原の瑞穂の国

「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)は日本国の美称です。が、現在の日本はこの美称に値するのかというと、Yesとはいいにくいのがおおむね現状ではないでしょうか。

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美しい里山の風景がこのイメージでしょうか。現在の日本は、里山などかえりみず、大都市に人が集中し、競争に明け暮れ、他人のこと、他国のこと(庶民の暮らし)などほとんど眼中にない、というのが現状ではないでしょうか。「美しい国へ」向かえばいいのですが、現実は、さらにさらに殺伐とした世の中に向かっているように見えます。

かといって、東日本大震災時に、譲り合う姿が美しくとりあげられ、日本もまだ捨てたものではないと信じたくもなります。『エクサスケール』の著者は、長年海外で暮らしてみて、日本の素晴らしさを改めて知ったそうです。
「海外で接する数多くの外国の方々が、むしろ筆者に対して『お前の国が、いったいどれほど素晴らしく、貴重であるのか』を、熱く語り教えてくれるのである」のだそうです。
そして、著者は、日本の国の最も素晴らしい点のひとつに、日本語のもつ美しさと神々しさをあげています。

「あるとき、ヨーロッパ各国に複雑な血縁を持つ米国サン・フランシスコ市在住のある芸術家の老夫婦が、彼らのアトリエを偶然に訪れた私を捕まえて、1時間以上も熱心に力説をしてくれたのである。曰く、『日本語の響きは、自分たちの知るかぎりの数十もの言語のなかでも、最も美しく、特段穏やかで、平和的で、何を話しているかは理解できないのだけれど、まるで静かに感情を抑えながら、軽やかに歌っているかのようだ』と。『最初は、他の言語と比べて、母音がとても多いのがその一因だと考えたものだ。でも、それだけが理由ではないことはすぐにわかった』とも付け加えられた」

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これは、『エクサスケール』に出てくる一節です。その著者でも、最近の日本人はそうではなくなってきたと案じています。それでも、日本人は伝統として尊い精神性と協調性を持っており、それがゆえに、我々日本人こそが次世代スーパーコンピュータを世界に先駆けて開発すべきであるという論を展開します。

なんや、また競争の話かいな。もうええっちゅうに。一番じゃなきゃダメなんですか~???

というツッコミを入れたくなったのですが、著者が一番にこだわる理由を知って、そのツッコミが恥ずかしくなりました。

先進国の多くは、一番にスーパーコンピュータを手に入れたなら、その恩恵を独占し、まっさきに軍事に転用しようとするでしょう。核保有国であれば、さらに恐ろしいでしょう。現在でさえ、人工知能やロボットを軍事利用する研究がさかんです。スーパーコンピュータを手にしたら、いったいどういうことになるか。

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また、地球上には、解決すべき喫緊の課題が山積しています。戦争と平和、エネルギー問題、食糧問題、貧困、格差、地球環境、人口増加、先進国における少子高齢化、ウイルスや伝染病、大小の災害・・・

スーパーコンピュータが実現すれば、エネルギーも食糧も、無限で無料となるそうです。労働もなくなるそうです。ならば、これらの問題のかなりは自然消滅するのでしょうか?
そうなれば、ほんと、うれしいです。が、そのためには、スーパーコンピュータによる恩恵を独占することなく、軍事利用することもなく、世界中の隅々まで行き渡らせることが必要でしょう。

それをするのは、コンピュータでなく、人間です。人間の心です。
「人間的な弱さは、多かれ少なかれ、だれもが持っていることは周知の事実である。しかし、この近未来の〝打ち出の小槌〟は、その使用方法を誤れば、一国を、そして世界をも、短期間のうちに破滅の道に追いやる危険性を孕んでいる」

『エクサスケール』の著者は、日本が平和憲法を持つことと、苦しい敗戦を経験したことと、そもそも日本人が持つ道徳観念に根ざした部分を考え、スーパーコンピュータを日本が一番に開発しなければいけないと主張するのです。そして、他国へ、惜しげもなく分かちあうこと。

独占せず、分かち合ってしまえば、軍事その他不適切な使用はふせげそうです。一部の人が独占してしまうのが、最もいけません。
「他の国の人々の犠牲や、不幸や、不便のうえに自らの幸福を築こうなどと思うことは、少なくとも日本人としては考えられない」とのこと。そう信じたいです。そうありたいです。でも、現状は、他国に犠牲を強いて、知らん顔をしての日々の繁栄であることは疑いありません。他国だけではなく、同じ日本人同士でも、どこかへしわ寄せを持っていって、知らん顔をしています。

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エクサスケール革命においては、「全世界がその発展と繁栄から得た力を結集して地球規模の問題解決に臨むことが、残される唯一の選択肢であり、最も理想的な世界の将来像ではないだろうか」

そうです。まったくそのとおりです。ここにおいて失敗すれば、人類の未来はないかもしれません。少なくとも、良い未来はあり得ません。

「そうした、見返りをまったく求めずに他者に施しをする利他の精神と、持つものを無限に分け与える度量といったものを持ち合わせている国は、はたして本当に存在するのであろうか」

いや、ないでしょう。

「これも現在の世界中を見渡して、我が国、日本がそうした可能性を一番持っているのではないかと考えられる。もちろん、今の日本が、すぐにそうしたことを行えるとは思えない」

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著者も、わかっています。現在の日本が一番にエクサスケール革命を成し遂げたら、自国の繁栄に優先して、使おうとするでしょう。過去の発明や発見なら、まあ何とかなっていくでしょうが、エクサスケール革命は違います。打ち出の小槌です。ドラえもんのポケットです。独占すれば、その弊害は計り知れません。

誰かがどうにかしてくれるだろう、という隷属マインドは、最悪です。日本人の利他の精神が非常に美しいものだとしても、同時にその精神は、裏返せば、隷属マインドでもあります。
 

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