『学校は負けに行く場所。』『仕事は楽しいかね?』に戻ります。
『学校は負けに行く場所。』では、学校生活を送る間に、できるだけたくさんの負けを経験すべしと説きます。ふつうなら、負けることはいやなので、負けないように立ち回るでしょう。負けそうなことは、回避するでしょう。そうすると、大人になってもいつまでも自分の道が見えず、とりあえず無難なことをやっていくか、えんえんと自分探しをしているかということになりがちです。で、それで満足して幸せなら、それはそれでいいのでしょうが、まあ、たいがい愚痴や不満が口をついて出ますね、そういう人たちは。というか、ほとんどの人は。
自分の道を誰かに教えてもらおうとか、誰かに決めてもらおうなんて、そりゃ無理でしょ。自分の道は自分で見つけるしかありません。自分で見つけた自分の道を生きていくことが、たとえそれがどんな道であろうと、自分にとっての幸せであるはず。自分の道であれば、愚痴や不満など、あるはずもないです。
では、どうやって自分の道を見つけるかというと、たくさんの道を片っ端からかじってみる。経験してみる。自分の道でなければ、うまくいかないし、楽しくもないので、負ける。つまり、できるだけたくさんの「自分の道ではない道」を試してみることが、成功への最短コースだというわけです。
多くの人の感覚とは真逆ですね。
そういえば、エジソンが、「うまくいかない方法を全部試せば、成功するに決まっている」というようなことを言ったと思いますが、たしかに、理屈ではそうですね。
ゴールを定めて、一直線にそこへ向かって突き進む。最小の努力で最大の結果をつかむ。とても効率的でスマートなやり方に見えますが、これは、非現実的。というわけです。
『仕事は楽しいかね?』は、たくさんの試みをやることが大事と説きます。10の試みをすれば、1回ぐらいはうまくいく。もちろん、9回は失敗する。成功とは、そういうものだ。どれだけたくさんの試みをするかが成功への鍵だ、と。
これを読んで、カエルの卵を思いました。家のまわりに田んぼや溜め池がたくさんあります。カエルがいっぱいいて、ヘビもいっぱいいます。春には、カエルがそこら中に卵を産みます。その中で、オタマジャクシになるのはごくわずかだし、さらにごくわずかがカエルになる。さらにごくわずかがヘビに食われたり干からびたりすることなく、人生を全うする。
逆に言うと、あれだけたくさんの卵をそこら中に散りばめたら、そりゃ、どうにかこうにかなっていくよな。
人生もカエルのようなものである。
賢いカエルが、無駄と非効率を嫌って、できるだけ卵を少なくしようとするなら、そのうち絶滅するでしょう。エラーが自然の摂理なら、エラーを少なくしようとする営みは、自然の摂理に逆行します。
人間には、「同じ過ちを繰り返すな」という金言があります。
もし、カエルが、1カ所に集中して卵を産んだとしたら、それがいかに多数であったとしても、絶滅のリスクが高まります。いろんなところに手当たり次第に産むからいいのです。
人間がすべきエラーも、同じことを繰り返したって、無意味です。少しずつずらしながら、変えながら、たくさんのエラーをすることに意味があるようです。
私の観察によれば、失敗を嫌う人ほど、同じ失敗を繰り返しています。そして、来る日も来る日も愚痴。カエルを師匠とすれば、人生を変えられるかも。
なるほど、「同じ過ちを繰り返すな」というのは、「同じように見えても、ちょっと違うことを試していれば、エラーをしても良いのだ」と読み解くわけですね。こりゃあ、とっても良い気付きをいただきました。いつもいつも、ありがとうございます。です。
「エラーをしてもよいのだ」ではなく「エラーをしこたましなければ、どうにもならない」ということだと思います。非効率にみえるものほど、最速・最短の効率ではないかと思います。