先日、兵庫県立美術館で開催されている『不思議の国のアリス展』に長女が行ってきました。 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、1人で、電車に乗って神戸まで。(駅までの送り迎えは母がしましたが)

 

長女が以前から『不思議の国のアリス(byルイス・キャロル)』『鏡の国のアリス(byルイス・キャロル)』が好きなことをよく話していたのですが、私たちが『不思議の国のアリス展』のことに気づいたのはつい最近。

兵庫県立美術館でやっているのは、5月26日まで。それまでに家族みなで行くことは無理。それに、私や他のきょうだいたちもそれほどアリスに興味はありません。

そんな中、長女は、「どうしても、どうしても、行きたい!!」と思っていたらしいのです。

だからといって、長女1人で、もう16歳だけど、簡単に行ってもいいよ、ということにはなりません。

 

ですが、去年から長女は1人ででかける練習をしています。正確に言うと、「将来、海外に行ってみたい、留学してみたい」という夢を叶えるための準備です。

私たちが思う留学は、パッケージツアーではなく、自分で考え準備しそのために行動することを含みます。留学も独学のように自分が主体となる形がもっとも自分の身に付くと考えるからです。

(大人の同行者が付くような海外留学ツアーはまた別なのかもしれませんが)海外にいったら1人で行動することが基本です。ましてや日本でそれができていないのに、いきなり海外で1人で行動しなさい、というのも無理なこと。まず、今日本にいてもできることから挑戦してみようと、事前に時刻表を調べるところから自分でやり、大阪の梅田まで留学説明会に1人で行ってみたり、私の実家の埼玉まで祖父のお見舞いに1人で新幹線に乗って行ってみたり、してきました。

初めは、親の私もドキドキ…。もちろん、子どもを1人で行動させることは各家庭の考え方によってかなり違うと思うし、現代の社会状況なども考えるとどこまでさせてもいいのか、判断はむずかしいところです。

それでもあえて、ちょっと難しいことに挑戦させてみようと思うのは、わが家がホームスクーリングだから、ということもあります。極力自分でできることは自分でして親は手を出さないようにすること。これを続けていると、他の大人からしっかりしているとびっくりされます。自分の人生を自分で生きるということはそういうことだと思うし、当然のことだと考えます。

将来何の仕事をするかが問題なのではない、将来どのように仕事をするかが大事。どのように仕事をするかということをトコトン身に付ければ、どんな仕事をするかはどうでもいい。どんな状況になっても必ず自分で道を拓いていけると信じています。

長女は3月で義務教育を終えましたが、4月からは長男と同じように自宅で勉強しながら、たまにアルバイトをしたりして過ごしています。ゆくゆくは上にも書いた通り、海外に興味があり関係する学びなり仕事なりしてみたいようです。

 

アリス展を十分堪能した後、まだ帰りの電車の時間までに余裕があったので、異人館の方にも寄ってきたようです。(事前にお昼を食べるところ、時間が余ったら行きたい場所などをネットでチェックしていたようです。)

平日だったこともあってか、「他にほとんど人いなかったよ」と言っていました。写真は英国館。シャーロック・ホームズの世界観を再現されているようで、楽しめたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お庭にはアリスの庭も再現されていたらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに長女の語学の勉強についてはこちら

先日モモさんが子どもたちに

「高校生まではほとんどテレビを見たことがなかった。大学に入ってさすがにテレビを見てないとまずいと思って1人暮らしを始めたときにテレビ買ったけど、あまり面白いと感じなかったわ」

と話していました。

モモさんが大学生の頃、私は小学生の高学年あたりで、ちょうどテレビが大好きな頃、空いた時間があればつねにテレビを見ていました。

続いてモモさんが

「結婚してからバイクの話題も野球の話題も封印してきた…」と。野球の話題は子どもたちのおかげ?もあり復活していますが、それを言うなら私だって(好きな)映画の話題や音楽の話題は、結婚してからほとんどモモさんとは話したことがありません。

子どもたちが

「じゃあ、毎日何話してるの?」って…(笑)

共通の趣味がなくても(最近はそうでもないけど)、趣味嗜好が違っても、不思議と話題はつきないものなのです。。

この4月で結婚して20年目に入りました。

私は自分が結婚できると思っていなかったので、今この日常が奇跡の連続です。

いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。

 

結婚1年目、私の祖母と。

結婚10年目、家族6人で。

 

結婚20年目、次女と。(三女が撮影)

ここ↑に写っていませんが、長男と長女も元気です。

今年の出雲旅行は家族みんな、充実した3日間でした。ただの旅行ではなく、わが国の原点を訪ねるものでした。感じることも考えることも、非常に多かったです。現地に行ってわかることも多々ありました。

と、こんな感じでわが家ではホームスクーリングをしてきました。ホームスクーリングを実践されるご家庭は、日本でも増えています。でも、そのやり方は、千差万別で、「ホームスクーリング」という一言でくくるのが適切とは言えません。

あくまでも、わが家でのホームスクーリングという話です。わが家では、学校教育をリスペクトしていますが、学校教育ではどうしても不足があると感じています。学校教育では、というか、現在の社会では、あまりにも効率を求めすぎます。ちょうど、ミヒャエル・エンデの『モモ』のように。灰色の男たちの活動によって、われわれ人間がどうなっていったか。いままさに、そんな状況が進行中に思えてなりません。そこで、わが家では、学校教育のメソッドの真逆を実践してきました。私たちは、最先端ではありません。むしろ、古典的です。年配の日本人には、懐かしくさえあるでしょう。

それをどう表現したらいいか、考えてきました。私たちのホームスクーリングは、日本古来の「道(どう)」の概念が近いです。「○○道」「○○の道(みち)」という表現はいくらでもありえます。それらが意味するところは、だいたい共通してきます。

これを、世界の人びとにお伝えしようと考え、「dou learning」というサイト(英語)を立ち上げました。ご興味のある方は、どうぞご覧いただけますと幸甚です。(今のところ、日本語版を作ることは考えていません)

いよいよ3日目。これで旅も終わりです。

島根から鳥取へと移動しておりますが、現在の鳥取県西部地域は古代出雲王国の勢力下でした。

 

次は鳥取県西伯郡南部町にある「赤猪岩神社(あかいいわ神社)」です。(参考サイト:○古事記編纂1300年 オオクニヌシ再生の地 赤猪岩神社・清水井ガイド

こちらは、日本神話にあるオオクニヌシが嫉妬に狂った兄たちに大きな岩で殺されてしまった話の元になった地です。

鳥居の額束が赤いのがとても印象的でした。拝殿の注連縄は太くて大きく出雲周辺の神社で見かけたものと似ていました。

  

鎮守の森の巨木。

その横に、オオクニヌシが抱いて落命したと言われている大岩が埋められ、二度と掘り返されることがないように大きな石で封印されているとのこと。

  

神社の横には池があり、その脇道が「清水井(しみずい)」(ウムギヒメがオオクニヌシを蘇生するため薬を作るときに水をくんだとされる井戸?)へと続いているとのことでした。

 

次は、鳥取県西伯郡伯耆(ほうき)町の「おにっ子ランド」です。

とはいっても、、、このおにっこランド、以前は遊園地とミュージアムが運営されていたようですが、現在は両方とも廃止され、長いローラーすべり台がある公園となっているそうです。(しかもそのすべり台も半分?は使用禁止のよう)

私たちがここに立ち寄ったのは、そのすべり台が目的ではありません。ミュージアムの上にいる鬼の像を近くで見たかったからです(笑)。というのは冗談で、、

  

じつはおにっこランドのある溝口地区は日本最古の鬼伝説があり、この↓画像の左寄りの小高い山が鬼住山(きずみやま)と言われています。こちらで孝霊天皇による鬼退治があったと伝わっているそうですが…、出雲の伝承では違う話が伝わっています。

孝霊天皇は第七代天皇で歴史的には欠史八代とされ実在しない天皇と考えられています。出雲の伝承では実在するのですが、出雲族の出身でありながら、出雲を攻め、出雲兵を虐殺したのがこの地です。歴史は勝者によって作られるので、出雲兵を鬼とし、孝霊軍の攻撃を鬼退治として後世に伝えました。それが桃太郎のおとぎ話の原型となっています。

 

次はおにっこランドの近くにある「楽楽福(ささふく)神社」です。主祭神は孝霊天皇で、鬼退治伝説を由緒にもちます。

   

参道はのどかな田んぼの間をまっすぐ伸びて鎮守の森へと向かっています。

 

随身門。拝殿。立派な注連縄です。

   

境内にある「楽楽福神社古墳」です。その正体は孝霊天皇の崩御の地とも伝えられています。参道からも田んぼの向こうに鬼住山が見えました。

  

 

*   *   *

今回の旅は、古代出雲王国の最期にまつわる場所をテーマに、2泊3日でできるだけ多くまわれるようにスケジュールを組みました。

事前に下記の本を読んだり、行政の観光サイトから資料を取り寄せたりして情報を収集しました。

この夏の猛暑と蚊の襲撃、プラス予定外の寄り道などもありましたが、すべての行程をこなすことができました。

ちなみに連休中にもかかわらず、私たちが訪れた場所(出雲大社周辺と神魂神社、熊野大社以外)は、私たち家族以外ほとんど観光客を見かけませんでした。

暑い時期に古墳や遺跡、神社めぐりをする人は少ないからですかね??

こちら↓は今回訪れた博物館などで購入してきたものたちです。

出雲には今回訪れることができなかった場所がまだたくさんあります。知れば知るほど興味がわいてきます。簡単に行ける距離ではありませんが、また機会を見つけてぜひ再訪したいと思います。

 

3日目のつづきのつづきです。

先に訪れた造山古墳群含め、ここら(安来市荒島)周辺には弥生時代から古墳時代にかけての墳墓が集中しており、その内の、「造山」「塩津山」「宮山」「仲仙寺」の4カ所は公園として整備されています。これらを総称して、「古代出雲王陵の丘」と呼ぶそうです。

次は「塩津山墳墓群(しおつやまふんぼぐん)」です。

  

こちらは山陰道のトンネルの上に古墳があります。坂をのぼってすぐのところに「塩津山1号墳」があります。

1号墳が作られたのは弥生時代の後期から古墳時代へと入っていく時で、古墳の形も、四隅突出型墳丘墓から方墳へと形が変わっていく様子がわかります。

1号墳には全体ではなく、部分的に貼られた貼石の様子が再現されています。

  

上には出土した土器などのレプリカが。。下には山陰道が走っています。この時は気づきませんでしたが、ここから次の目的地が見えていたようです。

  

1号墳のすぐ隣にあるプリンのような形の2号墳(円墳)。2号墳から見た1号墳です。

  

もう少し奥に行くとみられる古墳もあったようですが、諸々の事情で下へおりることにしました。おりてすぐの所に塩津神社があります。

  

神社の境内脇に「塩津神社古墳(しおつじんじゃこふん)」があります。こちらは墳丘が失われ石棺式石室(せっかんしきせきしつ)のみ残った状態が見られます。

  

 

ここから鳥取県米子市へと移ります。次は「粟嶋神社(あわしまじんじゃ)」です。

画像にある説明板によりますと、こちらはもともと中海に浮かぶ小島だったようです。江戸時代中頃に地続きとなり、山全体をご神体とされたとのこと。(現在、明神山と言われるこの山が先に立ち寄った塩津山1号墳から見えたみたいです。)

現在は187段のぼった山頂に本殿があり、少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神として祀られています。

下記の神社の沿革には、伯耆国風土記の逸文によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世国に渡られたので粟嶋と名づけたとある、とあります。

日本神話にあるオオクニヌシとスクナビコナの話の元になった地ということです。

   

この階段、けっこう急ですが、昨年身延の久遠寺に行った私たちですので、そんなに驚くほどでもありません。

 

登りきりると、立派な随身門。そして拝殿。

  

本殿裏から見える景色。草が生い茂って見えづらいですが「米子水鳥公園」と中海、安来方面が見えました。

下へとおりて、八百比丘尼の伝説がある「静の岩屋」へ向かいます。実は粟嶋神社へ来たのはこちらが本題なのです。

  

鳥居の奥の柵の中が洞窟になっています。説明板にある伝説とは全く違う重大な事件が古代の出雲王国におきました。日本の歴史を変える大事件だと言っていいと思います。そのことを知ってこの地を訪れると大きな感慨にとらわれます。右の画像は洞窟から見える景色です。

    

次でいよいよ最終回となります。たぶん。

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