今年の出雲旅行は家族みんな、充実した3日間でした。ただの旅行ではなく、わが国の原点を訪ねるものでした。感じることも考えることも、非常に多かったです。現地に行ってわかることも多々ありました。

と、こんな感じでわが家ではホームスクーリングをしてきました。ホームスクーリングを実践されるご家庭は、日本でも増えています。でも、そのやり方は、千差万別で、「ホームスクーリング」という一言でくくるのが適切とは言えません。

あくまでも、わが家でのホームスクーリングという話です。わが家では、学校教育をリスペクトしていますが、学校教育ではどうしても不足があると感じています。学校教育では、というか、現在の社会では、あまりにも効率を求めすぎます。ちょうど、ミヒャエル・エンデの『モモ』のように。灰色の男たちの活動によって、われわれ人間がどうなっていったか。いままさに、そんな状況が進行中に思えてなりません。そこで、わが家では、学校教育のメソッドの真逆を実践してきました。私たちは、最先端ではありません。むしろ、古典的です。年配の日本人には、懐かしくさえあるでしょう。

それをどう表現したらいいか、考えてきました。私たちのホームスクーリングは、日本古来の「道(どう)」の概念が近いです。「○○道」「○○の道(みち)」という表現はいくらでもありえます。それらが意味するところは、だいたい共通してきます。

これを、世界の人びとにお伝えしようと考え、「dou learning」というサイト(英語)を立ち上げました。ご興味のある方は、どうぞご覧いただけますと幸甚です。(今のところ、日本語版を作ることは考えていません)

いよいよ3日目。これで旅も終わりです。

島根から鳥取へと移動しておりますが、現在の鳥取県西部地域は古代出雲王国の勢力下でした。

 

次は鳥取県西伯郡南部町にある「赤猪岩神社(あかいいわ神社)」です。(参考サイト:○古事記編纂1300年 オオクニヌシ再生の地 赤猪岩神社・清水井ガイド

こちらは、日本神話にあるオオクニヌシが嫉妬に狂った兄たちに大きな岩で殺されてしまった話の元になった地です。

鳥居の額束が赤いのがとても印象的でした。拝殿の注連縄は太くて大きく出雲周辺の神社で見かけたものと似ていました。

  

鎮守の森の巨木。

その横に、オオクニヌシが抱いて落命したと言われている大岩が埋められ、二度と掘り返されることがないように大きな石で封印されているとのこと。

  

神社の横には池があり、その脇道が「清水井(しみずい)」(ウムギヒメがオオクニヌシを蘇生するため薬を作るときに水をくんだとされる井戸?)へと続いているとのことでした。

 

次は、鳥取県西伯郡伯耆(ほうき)町の「おにっ子ランド」です。

とはいっても、、、このおにっこランド、以前は遊園地とミュージアムが運営されていたようですが、現在は両方とも廃止され、長いローラーすべり台がある公園となっているそうです。(しかもそのすべり台も半分?は使用禁止のよう)

私たちがここに立ち寄ったのは、そのすべり台が目的ではありません。ミュージアムの上にいる鬼の像を近くで見たかったからです(笑)。というのは冗談で、、

  

じつはおにっこランドのある溝口地区は日本最古の鬼伝説があり、この↓画像の左寄りの小高い山が鬼住山(きずみやま)と言われています。こちらで孝霊天皇による鬼退治があったと伝わっているそうですが…、出雲の伝承では違う話が伝わっています。

孝霊天皇は第七代天皇で歴史的には欠史八代とされ実在しない天皇と考えられています。出雲の伝承では実在するのですが、出雲族の出身でありながら、出雲を攻め、出雲兵を虐殺したのがこの地です。歴史は勝者によって作られるので、出雲兵を鬼とし、孝霊軍の攻撃を鬼退治として後世に伝えました。それが桃太郎のおとぎ話の原型となっています。

 

次はおにっこランドの近くにある「楽楽福(ささふく)神社」です。主祭神は孝霊天皇で、鬼退治伝説を由緒にもちます。

   

参道はのどかな田んぼの間をまっすぐ伸びて鎮守の森へと向かっています。

 

随身門。拝殿。立派な注連縄です。

   

境内にある「楽楽福神社古墳」です。その正体は孝霊天皇の崩御の地とも伝えられています。参道からも田んぼの向こうに鬼住山が見えました。

  

 

*   *   *

今回の旅は、古代出雲王国の最期にまつわる場所をテーマに、2泊3日でできるだけ多くまわれるようにスケジュールを組みました。

事前に下記の本を読んだり、行政の観光サイトから資料を取り寄せたりして情報を収集しました。

この夏の猛暑と蚊の襲撃、プラス予定外の寄り道などもありましたが、すべての行程をこなすことができました。

ちなみに連休中にもかかわらず、私たちが訪れた場所(出雲大社周辺と神魂神社、熊野大社以外)は、私たち家族以外ほとんど観光客を見かけませんでした。

暑い時期に古墳や遺跡、神社めぐりをする人は少ないからですかね??

こちら↓は今回訪れた博物館などで購入してきたものたちです。

出雲には今回訪れることができなかった場所がまだたくさんあります。知れば知るほど興味がわいてきます。簡単に行ける距離ではありませんが、また機会を見つけてぜひ再訪したいと思います。

 

3日目のつづきのつづきです。

先に訪れた造山古墳群含め、ここら(安来市荒島)周辺には弥生時代から古墳時代にかけての墳墓が集中しており、その内の、「造山」「塩津山」「宮山」「仲仙寺」の4カ所は公園として整備されています。これらを総称して、「古代出雲王陵の丘」と呼ぶそうです。

次は「塩津山墳墓群(しおつやまふんぼぐん)」です。

  

こちらは山陰道のトンネルの上に古墳があります。坂をのぼってすぐのところに「塩津山1号墳」があります。

1号墳が作られたのは弥生時代の後期から古墳時代へと入っていく時で、古墳の形も、四隅突出型墳丘墓から方墳へと形が変わっていく様子がわかります。

1号墳には全体ではなく、部分的に貼られた貼石の様子が再現されています。

  

上には出土した土器などのレプリカが。。下には山陰道が走っています。この時は気づきませんでしたが、ここから次の目的地が見えていたようです。

  

1号墳のすぐ隣にあるプリンのような形の2号墳(円墳)。2号墳から見た1号墳です。

  

もう少し奥に行くとみられる古墳もあったようですが、諸々の事情で下へおりることにしました。おりてすぐの所に塩津神社があります。

  

神社の境内脇に「塩津神社古墳(しおつじんじゃこふん)」があります。こちらは墳丘が失われ石棺式石室(せっかんしきせきしつ)のみ残った状態が見られます。

  

 

ここから鳥取県米子市へと移ります。次は「粟嶋神社(あわしまじんじゃ)」です。

画像にある説明板によりますと、こちらはもともと中海に浮かぶ小島だったようです。江戸時代中頃に地続きとなり、山全体をご神体とされたとのこと。(現在、明神山と言われるこの山が先に立ち寄った塩津山1号墳から見えたみたいです。)

現在は187段のぼった山頂に本殿があり、少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神として祀られています。

下記の神社の沿革には、伯耆国風土記の逸文によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世国に渡られたので粟嶋と名づけたとある、とあります。

日本神話にあるオオクニヌシとスクナビコナの話の元になった地ということです。

   

この階段、けっこう急ですが、昨年身延の久遠寺に行った私たちですので、そんなに驚くほどでもありません。

 

登りきりると、立派な随身門。そして拝殿。

  

本殿裏から見える景色。草が生い茂って見えづらいですが「米子水鳥公園」と中海、安来方面が見えました。

下へとおりて、八百比丘尼の伝説がある「静の岩屋」へ向かいます。実は粟嶋神社へ来たのはこちらが本題なのです。

  

鳥居の奥の柵の中が洞窟になっています。説明板にある伝説とは全く違う重大な事件が古代の出雲王国におきました。日本の歴史を変える大事件だと言っていいと思います。そのことを知ってこの地を訪れると大きな感慨にとらわれます。右の画像は洞窟から見える景色です。

    

次でいよいよ最終回となります。たぶん。

3日目のつづきです。

「出雲国府跡」。前日の茶臼山から見えた意宇平野にあります。

「意宇の杜(おうのもり)」。田んぼの真ん中にあるので、知らなかったらそのまま通り過ぎてしまいそうです。

  

 

次は「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と「伊賦夜坂(いふやざか)」です。かなり要約すると、死んだ妻(イザナミ)に会いたい一心で黄泉の国を訪ねた夫(イザナギ)が、変わり果てた妻の姿を見てびっくりして逃げ出した…という日本の神話の有名な舞台となったところです。

駐車場の入口におどろおどろしい看板が…。反対側の池の方には休憩用ベンチも。

  

すぐそばに普通の説明板もありました。

鳥居のような結界のようなものと黄泉の国をふさいだと思われる岩?。岩の左にある祠のようなものは、天国(黄泉の国)へ手紙を送れるというポストでした。あの世とこの世を結ぶ場所として亡くなった方を悼む人が多く訪れることから、地元のライオンズクラブと黄泉比良坂神蹟保存会で設置されたようです。

   

そして「伊賦夜坂(いふやざか)」へ。夏の晴れた日の昼間なのに、ひっそりとした雰囲気の小道です。

  

看板から2~3分歩いたところに「塞の神(道祖神)」がありました。そのまままっすぐ行くと隣の集落にでるようです。

   

 

次は「古代出雲王陵の丘」とその中にある「造山古墳群」です。まずはじめに階段を上ります。出雲に来てから何回めの階段でしょう?(笑)

  

上に登ったところから見える景色です。中海と島根半島がよく見えました。

「造山2号墳」。2号墳(前方後方墳)から見渡す景色もサイコーです!!

  

2号墳の隣にある、ちょっと小さめの4号墳(方墳)。少し離れた3号墳まで歩きます。アップダウンの道が続きます。

  

こちらが草が生い茂った3号墳の上です。来た道を少し戻って1号墳の方へ。

   

この奥↓に1号墳があると思われましたが、私有地になるため入れませんでした。

1号墳は日本最大級の方墳だそうです。残念。。

1号墳のわきを通り抜け出た道です。最初に登ってきた道と合流していました。

いよいよ最終日3日目です。バンガローをチェックアウトした時に管理人さんから近くにある展望台をすすめられたので行ってみることにしました。

その途中の道にはお寺と神社がありました。

「星上寺(せいじょうじ)」です。いろいろと謂われがあるお寺のようですが、現在は曹洞宗のお寺のようです。

 

近くに下記のような伝説のある池もあります。右の画像がその「星の池」。  

  

星上寺を通り過ぎまた少し歩くと、鳥居が見えてきました。

「那富乃夜(なほのや)神社」です。こちらは出雲国風土記にも記されている神社のようです。星の池の説明はこちらにもありました。

星の神様、星神杳々背男命(ホシノカミカカセオノミコト)を祀られています。出雲でよく見た神社とは違う造りですね。。

  

神社から少し歩いた先に展望台がありました。見事な景色にまた感歎の声をあげてしまいました!!中海に浮かぶ大根島まで見えました。

星上山は標高約454メートル。歩いて登る登山道もあるようです。ちなみに私たちが住んでいる童仙房と同じくらいの標高です。

*    *    *

ここから3日目のスケジュールに戻ります。

本日最初の訪問先は「熊野大社」です。出雲では出雲大社と並ぶ「出雲国一の宮」で有名な神社です。素戔嗚尊(スサノオノミコト)が主祭神として祀られています。

   

随神門の注連縄もすごい立派です。

左:拝殿。右:他の神社では見かけない、独特な造りの鑚火殿(さんかでん)。

   

 

続いて、「八雲立つ風土記の丘」へ。はじめに展示学習館を見学。

ちょうどミニ企画展「きて!みて!さわって!古代の島根 パート2」をやっていました。

    

ふだんは見るだけの出土品に直接触れてみたり、クイズラリーにも挑戦。

    

展示物も興味深いモノがたくさんありました。

日本で3カ所(島根、奈良、静岡)からしか見つかっていない「見返りの鹿」の埴輪。

左:向山1号墳から出土された「額田部臣(ぬかたべのおみ)」の銘文入り大刀。右:出雲独特の形をした「子持壺」。

  

次女と三女はまたまた「古代衣装コーナー」で古代人になりきり大喜び。

ボランティアガイドさんが岡田山1号墳を案内してくれるというのでついて行くことに…。

この↓こんもりした所が「岡田山1号墳」です。

  

中も見学できる(といってもちょっと入口から覗く程度)というので、一人ずつ見せてもらいました。

意外と狭くてびっくりしました。

    

まだまだ?、つづく…

2018年11月
« 9月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930