雲南・松江へ(4)

☆新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でお出かけ自粛中のため、去年の旅の記録です。☆

「今回の旅のテーマは「たたら製鉄とヤマタノオロチ伝説」です」と(1)で書きました。

が、3日目は前年(2018年)の計画で行きそびれたところにも立ち寄る行程となっています。

前日の宿泊先は峯寺遊山荘さんのコテージです。

峯寺の住職さんが地元の方に主に貸し出していた施設を、一般の人にも広く利用してもらいたいと、いろいろなイベントを催されているようです。

遊山荘本館

峯寺森林公園のマップ

我が家は家族が多いので、こういう貸し切りスタイルの宿泊施設はたいへん助かります。

こちら出雲大峯峯寺は658年役小角(えんのおづぬ)開創の由緒ある真言宗のお寺です。

時間があれば展望台の方へもまわってみたかったのですが、今回は本堂のみお参りとさせてもらいました。

この日一番に向かった先は「三屋(みとや)神社」です。

御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)、相殿は素盞鳴尊、脚摩乳命、稲田姫命、手摩乳命。

出雲国風土記に、

三屋郷、郡家の東北二十四里なり。所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の御門(みと)即ち此の処にあり、故、三刀矢と云う。神亀三年(726年)に字を三屋とあらたむ。即ち正倉あり。

とあり、大己貴命(=大国主命)の住まいがあった場所とされています。

一の鳥居

 

二の鳥居と随身門

 

拝殿

 

 

本殿

 

後ろから見た本殿

以下、由緒略記より

 当社は島根県飯石郡三刀屋町大宮給下宮谷に御鎮座の式内社であり、出雲風土記に御門屋社として神祇官に在りと記された古社である。古来から郡内の筆頭に置かれ上下の崇敬を受け、累代の祀官は常に幣頭を勤めてきた家柄である。社号の由来は所造天下大神大穴持命が八十神を出雲の青垣の内に置かじと詔うて追い払い給うてから此処に宮居を定め国土御経営の端緒を御開きになったので、その御魂が高天層に神留りましてから後出雲国造の祖先の出雲臣や神門臣等がこの地に大神の御陵を営み、また神社を創建してその御神地を定め神戸を置いて大神の宮の御料を調達することになったので、社号を大神の宮垣の御門としてその神戸とに因んで御門屋神社と号けたものである。出雲国内に置いて大神の神地と神戸が風土記撰上当時に置かれた場所はこの地のみで他に一カ所もないのみならず神の御門と神戸とを社号とした神社が全国に他には一社もない事は特記に値することであり、この地が出雲文化の発祥の地である事は明らかである。

 

三屋神社の裏手の道を登っていくと松本古墳群にたどり着きます。

1号墳の案内板より

 この古墳は長さ50mを測る前方後方墳で、1962年(昭和37年)に島根県教育委員会と三刀屋町教育委員会によって発掘調査され、その成果は出雲の古墳時代を語るうえで欠かせないものとなっている。
墳丘に葺石は認められず、埋葬施設は後方部に長さ約5.2mの箱形木棺、同4.7mの割竹形木棺各1基が、いずれも粘土で密閉された状態で発見されている。箱形木棺から斜縁獣帯鏡1枚・刀子3本・小型剣形鉄製品1本、針7本、ガラス小玉54個が、割竹形木棺から鉄剣1本・碧玉製管玉1個が出土している。これらの特徴から、1号墳は出雲でも最も古い典型的な前期古墳として有名になった。また、墳丘の各所から出土した土器は、山陰の古墳時代のはじまりの時期を考えるうえでの指標となっている。
(以下略)

1号墳の上方がら下方へ歩く

3号墳案内板より

 この古墳は、全長52mの前方後方墳で、松本古墳群の中では最も高い場所に造られ、最大の規模を持っている。発掘調査が行われていないため、内部施設などは明らかでないが、墳丘の形から県内最古の古墳のひとつと考えられている。
3号墳は当初約30mの方墳と考えられていたが、1988年に前方後方墳であることが確認され、その後3年間にわたっての測量調査の結果、前方部が低くバチ形に開くタイプであることが明らかになった。この特徴は日本で最古の古墳とされる奈良県の箸墓古墳と共通しており、注目されることとなった。
葺石や埴輪は測量時の詳細な観察によっても確認できず、1号墳と同様当初より存在しない可能性が高い。なお、後方部上には石塔の一部が4基以上確認されており、後世の墓地として利用されている。
古墳時代初めには、出雲で最大の古墳群(造山古墳群、大成古墳)が安来市荒島地区に造られているが、そこには同時期の前方後方墳は認められていない。斐伊川中流域に造られたこの3構文は1号墳とともに、古墳時代初期の出雲を語るうえで極めて重要である。
平成12年(2000年)3月 島根県教育委員会 三刀屋町教育委員会

三屋神社は延喜以前は古墳の上に社殿があったということなので、ここの上にあったのかも…

看板の左後ろに見える茶色の部分が3号墳と思われる

木がたくさん生えていてわかりずらい3号墳

 

2号墳案内板より

 この古墳は緩斜面に造られた円墳で、径15m、高さ3mの規模を持ち、墳丘の北側と東側の周囲には、現状で幅2.5m、深さ0.5mの周溝が認められる。墳丘の上面は径7mの平坦地となっているが、後世に削平されたためと考えられており、本来は現状よりもやや高かったものと推定される。
発掘調査が行われていないため、古墳の詳細については明らかではないが、墳丘の形や立地から、1・3号墳の後に築造それたものと考えられる。出土遺物は不明であるが、土器が出土したと伝えられる。
平成12年(2000年)3月 島根県教育委員会 三刀屋町教育委員会

看板後ろのこんもりした山が2号墳

参考サイト:雲南最大の古墳群―松本古墳群(これまでの雲南市(雲南市ブランド化プロジェクト))

真ん中が宿泊した遊山荘。その左側に三屋神社と松本古墳。左上に出雲大社。

つづく…。

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