2日目のつづきのつづきです。

次は「山代二子塚古墳(やましろふたごづかこふん)」です。先に、古墳のすぐ脇にあるガイダンス山代の郷を見学しました。

周辺にある古墳や史跡の説明が展示されていました。右の画像は向山1号墳の石棺式石室の実物大模型です。

  

山代二子塚古墳は古墳時代の後期(6世紀後半)につくられた島根県内最大級の「前方後方墳」だそうです。

  

古墳の後方部の半分が、明治時代に軍部の施設をつくるため削られてしまったそうなのですが、現在は古墳の土層の様子が見学できるように整備されています。

   

 

山代二子塚古墳のすぐそばにある、「茶臼山(ちゃうすやま)」にも登ってきました。『出雲国風土記』に神名樋野(かんなびぬ)と記された山です。

今回は西口登山道から登りました。標高171メートルなので、すぐに登れるだろうと甘くみたいたら…、登り口はけっこう急な坂が続きます。また、この時は真夏です。猛暑、プラス、蚊の攻撃(虫除けスプレーは事前にしていましたが)に耐えられず、私と三女は泣く泣く登頂はあきらめました。

  

こちらが頂上からの景色だそうです!!(①:長女と宍道湖、②:後山池(ため池)と中海、③:意宇(おう)平野)

 

 

次は「神魂神社(かもすじんじゃ)」です。石段の男坂を登ります。

    

拝殿と本殿。本殿は現存する大社造の社殿のうち最も古い(室町時代初期、正平元年(一三四六年)建立)といわれ、国宝に指定されています。

   

 

神魂神社のすぐ近くに立正大学淞南高等学校があります。その敷地内に「出雲大神」が祀られています。(参拝する際は高校の受付に一声かけた方がいいでしょう)きれいに整備された参道。

   

木の周りにある苔の生えた岩がご神体のようですが、いろいろな説があるようです。

前回書いた田和山遺跡に関連する重要な場所が神魂神社として今日まで残されている、という話は大元出版の本によらねばわかりません。

さらに「出雲大神」は、単なるご神体としての岩でなく、特別な意味を持った場所です。古代に思いを馳せる神聖な空間でした。

 

二日目の宿泊先は星上山スターパークです。ちょうど夕日が沈む時間に到着。宍道湖も見えめちゃくちゃきれいでした。

こちらの画像は次の日の朝のものです。バンガローはミニキッチンとバス・トイレ・シャワーがついています。ロフトにも4つベッドがあったのですが、クーラーがなかなか上の方まできかず、下のフロアに家族6人キチキチに並んで寝ました。

   

2日目のつづきです。松江市にやって来ました。

次は「田和山遺跡」です。1997年、松江市立病院の移転建設に伴って丘陵地を発掘調査したところ、そこから弥生時代の環濠が発見されました。

現在、田和山史跡公園として整備され見学できるようになっています。私たちは西側入口に車を駐めて、歩きました。

     

西側住居部に復元された、竪穴住居(左)と掘立柱建物(右)

    

山頂部まで登ったり、下ったりの道が続きます。

    

左の白い高い建物が松江市立病院です。

   

山頂部には5本柱遺構(建物)と9本柱遺構(建物)、注穴(柵)が見つかっています。遠くまで景色が見渡せます。宍道湖も見えました。

  

下りて、北側住居部へ。

  

 

夏なので少し草が生い茂っていましたが、3重の環濠部も下りて見られるようになっている箇所がありました。

  

私たちが駐車場に戻ると、田和山館(管理室)にボランティアの方が来られていました。少し話しを聞くことができました。

ところで環濠というと、通常は住居が集まった集落があるようなのですが、こちらの田和山遺跡にはそのような形跡がみられず、何のために築かれたのか、はっきりとはわかっていないようです。

*    *    *

しかし、大元出版から明かされている出雲の伝承では、はっきり記されています。古代出雲王国にとって最も大切な場所で、滅亡の際に真っ先に狙われた場所です。

その時にここで戦死した出雲の人たちを埋葬したのが、田和山遺跡の北東にある「友田遺跡」です。ところがその友田遺跡は、現在跡形もなくなっており、一本の碑が立っているのみでした。

 

“多数の勾玉や管玉を身につけた有力者の土壙墓や四隅突出型墳丘墓が築かれていたことから、弥生時代中頃の代々の支配者の墓地と考えられています”

出雲に来て2日目。雲州平田のまちを歩いて、朝食も女将さんおすすめの「持田醤油店」でいただきました。

   

「焼きおにぎりセット」↓こちらにしじみ汁がつきます。食事中、醤油店のおばあさんがお店のことや地域のことなどいろいろとお話してくださいました。

お醤油の味がしっかりついたおにぎり、美味しかったです。

旅館までの帰り道、勧められた「宇美神社」へ寄ってみました。こちらの神社は「縁切り」神社として有名だそうです。

   

ちなみに境内に末社の「縁結神社」もちゃんとあります。絵馬の形がハートです。

平田のまちを歩くとお店のショーウィンドウに飾られた陶器を組み合わせて作った人形が目についたのですが、こちらの神社にも所々に飾られていました。

あとで調べたところによると「平田一式飾」といわれ、江戸時代から始まったもののようです。

*    *    *   

旅館を8時半ごろ出発。最初の目的地は「女夫岩遺跡(めおといわいせき)」です。

「JA島根中央家畜市場」の北西の道沿いに入口があります。

     

距離は短いですが、けっこう急な坂…。ちょうど山陰自動車道のトンネルの上あたりの位置にあります。

次女との比較で岩の大きさが巨大なことがわかるかと思います。

  

 

次は、女夫岩遺跡からすぐの「佐為(さい)神社」です。

参道はひっそりとした雰囲気です。

     

立派な随身門。拝殿には他の出雲の神社で見られる大きな注連縄がありませんでした。

   

伊勢神宮は三輪山(奈良)から遷され、三輪山の信仰は出雲の佐為神社から遷された(狹井神社?)、と出雲の伝承にあります。

そうすると佐為神社は日本の神社のおおもと?ということになりそうです。古代、女夫岩(夫婦岩)が佐為神社の御神体であったそうです。

佐為神社から三輪山に神様を遷す時に、御神体の女夫岩を大神神社に持っていったそうです。(大元出版:『山陰の名所旧跡』より)

 

次は、「加茂岩倉遺跡」です。1996年、農道の工事中に大量の銅鐸が出土したことにより発見された遺跡です。

  

駐車場からちょっと歩きます。他の遺跡にも同じようなモノがありましたが、進入禁止のポールが銅鐸型になっていました。

ガイダンスで、職員の方がひととおり説明をしてくださいました。左の写真の中央がガイダンスの建物。右が展示室内。

   

ガイダンスからデッキ通路を通って遺跡発掘現場へ。ここから荒神谷遺跡へ歩いていくルートもあるようです。

     

2日目、またまた、つづく…。

1日目の続きです。

次は「古代出雲歴史博物館」です。

中央ロビーに、2000年に出雲大社の遺跡から出土された巨大な宇豆柱が展示されていました。

平安時代の出雲大社の模型。

荒神谷遺跡で発掘された銅剣などもありました。

他にも興味深い展示品やシアターもあったのですが、残念ながらこちらでの滞在時間は限られていたので、また行く機会があればじっくり見学したいです。

そしてようやく「出雲大社」です。拝殿へお参り。

拝殿のしめ縄が、私がよくネットなどで見ていたのと違うなぁ~と思って後から調べたら、神楽殿のしめ縄(日本最大級の大注連縄)でした。

  

 

次は「稲佐の浜」です。国譲り神話の舞台として有名ですね。

  

子どもたちも海を見てはしゃいでいました。海水浴もできるみたいです。

 

次は「猪目(いのめ)洞窟」です。稲佐の浜から猪目洞窟までは海沿いルートと山越えルートがあったのですが、私たちは山越えルートで向かいました。

     

この猪目洞窟には、あの世の入口という伝説(看板参照)と弥生時代の遺跡が発掘された現場(看板参照)として知られていますが、私たちが訪れたのは別の理由からです。表の歴史では知られていませんが、出雲の伝承では重大な事件がおきた現場です。(詳しく知りたい方は大元出版の本をご覧ください。)

洞窟といっても穴が奥深く続いている…というのではなく、右の写真のところまで入ってみたのですが、これ以上は進めないようでした。

    

洞窟の反対側は海です。現在は漁船の船置き場になっています。  

猪目洞窟から宿泊先へ向かう海岸沿いの道。日本海に浮かぶ夕日がきれいでした。

 

一日目の宿泊先は「持田屋旅館」さんです。(着いたのは夕方だったので、次の日の朝の画像です)

こちらの旅館は素泊まりが基本ですので、夕食は女将さんおすすめの近くのお店でいただきました。

新鮮なお刺身と魚の煮付けに感激。お腹いっぱい美味しくいただきました。

奈良の飛鳥地方にはまってから、古墳や遺跡にも興味がわいてきた我が家。

今年の夏は古代出雲王国をテーマに山陰へと行ってきました。

半年以上前から本やネットで調べて、特にモモさんが感動した大元出版(古代出雲王国の王家の直系子孫が出雲の歴史の本を出版している)の本を参考に、一般的な観光旅行とはちょっと違うスポットをめぐってきました。

*   *   *

一番最初は出雲市にある「智伊(ちい)神社」へ。

小さな神社ですが、出雲国風土記にも名前がでてくる神社です。

  

    

 

次は、同じく出雲市にある「久奈子(くなこ)神社」へ。こちらも出雲国風土記にででくる神社です。

 

    

階段を昇るのはたいへんでしたが、出雲ドームまで見渡せる景色がきれいでした。

 

次は「荒神谷博物館」と「荒神谷史跡公園」です。まず博物館内を見学。特別展で【魏志倭人伝シリーズⅤ 奴国~国を支えた人とモノ~】をやっていて那珂八幡古墳から見つかった三角縁神獣鏡も展示されていました。

   

史跡公園内にある2000年ハスも見ることができました(7月中旬)。

銅剣、銅鐸、銅矛が出土した「荒神谷遺跡」です。出土状況が再現されています。

博物館で発掘ドキュメントの影像を見たあとだったので、発掘当時を想像しやすかったです。

 

次は「出雲弥生の森博物館」と「西谷墳墓群史跡公園」です。先に博物館内を見学。

    

たいけんコーナーで古代衣装を着る次女と三女。

いよいよ史跡公園へ。こちらは古墳といってもコタツのような形をした「四隅突出型墳丘墓」が集まっています。

古墳って一見なんでもない丘のようですが、この大きさを見ただけでワクワクしてきます。

4号基(左)とすそ周りが復元された3号基(右)。

    

3号基の上には埋葬施設の説明と柩と柱があった場所が印されていました。

  

2号基は葺石で復元されていました。内部に展示室もありました。

  

史跡公園内から少し離れたところに最大規模だっと思われる9号基があったようですが、現在はその丘の上に「三谷神社」があります。

  

神社の由緒のとなりに、この場所に移ってきた後に四隅突出型墳丘墓であったことがわかった経緯などが説明されていました。

1日目、まだ終わりません。つづく…

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