3日目のつづきのつづきです。

先に訪れた造山古墳群含め、ここら(安来市荒島)周辺には弥生時代から古墳時代にかけての墳墓が集中しており、その内の、「造山」「塩津山」「宮山」「仲仙寺」の4カ所は公園として整備されています。これらを総称して、「古代出雲王陵の丘」と呼ぶそうです。

次は「塩津山墳墓群(しおつやまふんぼぐん)」です。

  

こちらは山陰道のトンネルの上に古墳があります。坂をのぼってすぐのところに「塩津山1号墳」があります。

1号墳が作られたのは弥生時代の後期から古墳時代へと入っていく時で、古墳の形も、四隅突出型墳丘墓から方墳へと形が変わっていく様子がわかります。

1号墳には全体ではなく、部分的に貼られた貼石の様子が再現されています。

  

上には出土した土器などのレプリカが。。下には山陰道が走っています。この時は気づきませんでしたが、ここから次の目的地が見えていたようです。

  

1号墳のすぐ隣にあるプリンのような形の2号墳(円墳)。2号墳から見た1号墳です。

  

もう少し奥に行くとみられる古墳もあったようですが、諸々の事情で下へおりることにしました。おりてすぐの所に塩津神社があります。

  

神社の境内脇に「塩津神社古墳(しおつじんじゃこふん)」があります。こちらは墳丘が失われ石棺式石室(せっかんしきせきしつ)のみ残った状態が見られます。

  

 

ここから鳥取県米子市へと移ります。次は「粟嶋神社(あわしまじんじゃ)」です。

画像にある説明板によりますと、こちらはもともと中海に浮かぶ小島だったようです。江戸時代中頃に地続きとなり、山全体をご神体とされたとのこと。(現在、明神山と言われるこの山が先に立ち寄った塩津山1号墳から見えたみたいです。)

現在は187段のぼった山頂に本殿があり、少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神として祀られています。

下記の神社の沿革には、伯耆国風土記の逸文によると、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世国に渡られたので粟嶋と名づけたとある、とあります。

日本神話にあるオオクニヌシとスクナビコナの話の元になった地ということです。

   

この階段、けっこう急ですが、昨年身延の久遠寺に行った私たちですので、そんなに驚くほどでもありません。

 

登りきりると、立派な随身門。そして拝殿。

  

本殿裏から見える景色。草が生い茂って見えづらいですが「米子水鳥公園」と中海、安来方面が見えました。

下へとおりて、八百比丘尼の伝説がある「静の岩屋」へ向かいます。実は粟嶋神社へ来たのはこちらが本題なのです。

  

鳥居の奥の柵の中が洞窟になっています。説明板にある伝説とは全く違う重大な事件が古代の出雲王国におきました。日本の歴史を変える大事件だと言っていいと思います。そのことを知ってこの地を訪れると大きな感慨にとらわれます。右の画像は洞窟から見える景色です。

    

次でいよいよ最終回となります。たぶん。

3日目のつづきです。

「出雲国府跡」。前日の茶臼山から見えた意宇平野にあります。

「意宇の杜(おうのもり)」。田んぼの真ん中にあるので、知らなかったらそのまま通り過ぎてしまいそうです。

  

 

次は「黄泉比良坂(よもつひらさか)」と「伊賦夜坂(いふやざか)」です。かなり要約すると、死んだ妻(イザナミ)に会いたい一心で黄泉の国を訪ねた夫(イザナギ)が、変わり果てた妻の姿を見てびっくりして逃げ出した…という日本の神話の有名な舞台となったところです。

駐車場の入口におどろおどろしい看板が…。反対側の池の方には休憩用ベンチも。

  

すぐそばに普通の説明板もありました。

鳥居のような結界のようなものと黄泉の国をふさいだと思われる岩?。岩の左にある祠のようなものは、天国(黄泉の国)へ手紙を送れるというポストでした。あの世とこの世を結ぶ場所として亡くなった方を悼む人が多く訪れることから、地元のライオンズクラブと黄泉比良坂神蹟保存会で設置されたようです。

   

そして「伊賦夜坂(いふやざか)」へ。夏の晴れた日の昼間なのに、ひっそりとした雰囲気の小道です。

  

看板から2~3分歩いたところに「塞の神(道祖神)」がありました。そのまままっすぐ行くと隣の集落にでるようです。

   

 

次は「古代出雲王陵の丘」とその中にある「造山古墳群」です。まずはじめに階段を上ります。出雲に来てから何回めの階段でしょう?(笑)

  

上に登ったところから見える景色です。中海と島根半島がよく見えました。

「造山2号墳」。2号墳(前方後方墳)から見渡す景色もサイコーです!!

  

2号墳の隣にある、ちょっと小さめの4号墳(方墳)。少し離れた3号墳まで歩きます。アップダウンの道が続きます。

  

こちらが草が生い茂った3号墳の上です。来た道を少し戻って1号墳の方へ。

   

この奥↓に1号墳があると思われましたが、私有地になるため入れませんでした。

1号墳は日本最大級の方墳だそうです。残念。。

1号墳のわきを通り抜け出た道です。最初に登ってきた道と合流していました。

いよいよ最終日3日目です。バンガローをチェックアウトした時に管理人さんから近くにある展望台をすすめられたので行ってみることにしました。

その途中の道にはお寺と神社がありました。

「星上寺(せいじょうじ)」です。いろいろと謂われがあるお寺のようですが、現在は曹洞宗のお寺のようです。

 

近くに下記のような伝説のある池もあります。右の画像がその「星の池」。  

  

星上寺を通り過ぎまた少し歩くと、鳥居が見えてきました。

「那富乃夜(なほのや)神社」です。こちらは出雲国風土記にも記されている神社のようです。星の池の説明はこちらにもありました。

星の神様、星神杳々背男命(ホシノカミカカセオノミコト)を祀られています。出雲でよく見た神社とは違う造りですね。。

  

神社から少し歩いた先に展望台がありました。見事な景色にまた感歎の声をあげてしまいました!!中海に浮かぶ大根島まで見えました。

星上山は標高約454メートル。歩いて登る登山道もあるようです。ちなみに私たちが住んでいる童仙房と同じくらいの標高です。

*    *    *

ここから3日目のスケジュールに戻ります。

本日最初の訪問先は「熊野大社」です。出雲では出雲大社と並ぶ「出雲国一の宮」で有名な神社です。素戔嗚尊(スサノオノミコト)が主祭神として祀られています。

   

随神門の注連縄もすごい立派です。

左:拝殿。右:他の神社では見かけない、独特な造りの鑚火殿(さんかでん)。

   

 

続いて、「八雲立つ風土記の丘」へ。はじめに展示学習館を見学。

ちょうどミニ企画展「きて!みて!さわって!古代の島根 パート2」をやっていました。

    

ふだんは見るだけの出土品に直接触れてみたり、クイズラリーにも挑戦。

    

展示物も興味深いモノがたくさんありました。

日本で3カ所(島根、奈良、静岡)からしか見つかっていない「見返りの鹿」の埴輪。

左:向山1号墳から出土された「額田部臣(ぬかたべのおみ)」の銘文入り大刀。右:出雲独特の形をした「子持壺」。

  

次女と三女はまたまた「古代衣装コーナー」で古代人になりきり大喜び。

ボランティアガイドさんが岡田山1号墳を案内してくれるというのでついて行くことに…。

この↓こんもりした所が「岡田山1号墳」です。

  

中も見学できる(といってもちょっと入口から覗く程度)というので、一人ずつ見せてもらいました。

意外と狭くてびっくりしました。

    

まだまだ?、つづく…

2日目のつづきのつづきです。

次は「山代二子塚古墳(やましろふたごづかこふん)」です。先に、古墳のすぐ脇にあるガイダンス山代の郷を見学しました。

周辺にある古墳や史跡の説明が展示されていました。右の画像は向山1号墳の石棺式石室の実物大模型です。

  

山代二子塚古墳は古墳時代の後期(6世紀後半)につくられた島根県内最大級の「前方後方墳」だそうです。

  

古墳の後方部の半分が、明治時代に軍部の施設をつくるため削られてしまったそうなのですが、現在は古墳の土層の様子が見学できるように整備されています。

   

 

山代二子塚古墳のすぐそばにある、「茶臼山(ちゃうすやま)」にも登ってきました。『出雲国風土記』に神名樋野(かんなびぬ)と記された山です。

今回は西口登山道から登りました。標高171メートルなので、すぐに登れるだろうと甘くみたいたら…、登り口はけっこう急な坂が続きます。また、この時は真夏です。猛暑、プラス、蚊の攻撃(虫除けスプレーは事前にしていましたが)に耐えられず、私と三女は泣く泣く登頂はあきらめました。

  

こちらが頂上からの景色だそうです!!(①:長女と宍道湖、②:後山池(ため池)と中海、③:意宇(おう)平野)

 

 

次は「神魂神社(かもすじんじゃ)」です。石段の男坂を登ります。

    

拝殿と本殿。本殿は現存する大社造の社殿のうち最も古い(室町時代初期、正平元年(一三四六年)建立)といわれ、国宝に指定されています。

   

 

神魂神社のすぐ近くに立正大学淞南高等学校があります。その敷地内に「出雲大神」が祀られています。(参拝する際は高校の受付に一声かけた方がいいでしょう)きれいに整備された参道。

   

木の周りにある苔の生えた岩がご神体のようですが、いろいろな説があるようです。

前回書いた田和山遺跡に関連する重要な場所が神魂神社として今日まで残されている、という話は大元出版の本によらねばわかりません。

さらに「出雲大神」は、単なるご神体としての岩でなく、特別な意味を持った場所です。古代に思いを馳せる神聖な空間でした。

 

二日目の宿泊先は星上山スターパークです。ちょうど夕日が沈む時間に到着。宍道湖も見えめちゃくちゃきれいでした。

こちらの画像は次の日の朝のものです。バンガローはミニキッチンとバス・トイレ・シャワーがついています。ロフトにも4つベッドがあったのですが、クーラーがなかなか上の方まできかず、下のフロアに家族6人キチキチに並んで寝ました。

   

2日目のつづきです。松江市にやって来ました。

次は「田和山遺跡」です。1997年、松江市立病院の移転建設に伴って丘陵地を発掘調査したところ、そこから弥生時代の環濠が発見されました。

現在、田和山史跡公園として整備され見学できるようになっています。私たちは西側入口に車を駐めて、歩きました。

     

西側住居部に復元された、竪穴住居(左)と掘立柱建物(右)

    

山頂部まで登ったり、下ったりの道が続きます。

    

左の白い高い建物が松江市立病院です。

   

山頂部には5本柱遺構(建物)と9本柱遺構(建物)、注穴(柵)が見つかっています。遠くまで景色が見渡せます。宍道湖も見えました。

  

下りて、北側住居部へ。

  

 

夏なので少し草が生い茂っていましたが、3重の環濠部も下りて見られるようになっている箇所がありました。

  

私たちが駐車場に戻ると、田和山館(管理室)にボランティアの方が来られていました。少し話しを聞くことができました。

ところで環濠というと、通常は住居が集まった集落があるようなのですが、こちらの田和山遺跡にはそのような形跡がみられず、何のために築かれたのか、はっきりとはわかっていないようです。

*    *    *

しかし、大元出版から明かされている出雲の伝承では、はっきり記されています。古代出雲王国にとって最も大切な場所で、滅亡の際に真っ先に狙われた場所です。

その時にここで戦死した出雲の人たちを埋葬したのが、田和山遺跡の北東にある「友田遺跡」です。ところがその友田遺跡は、現在跡形もなくなっており、一本の碑が立っているのみでした。

 

“多数の勾玉や管玉を身につけた有力者の土壙墓や四隅突出型墳丘墓が築かれていたことから、弥生時代中頃の代々の支配者の墓地と考えられています”

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