子ども手当と、少子化と、田舎
嵐のような総選挙が終わって、政権交代が実現し、まだ新政権が発足していないのに民主党の政策が連日話題になっています。4人の子を持つ私が最も関心あるのは、何を隠そう、子ども手当です。
わりと批判も多いようです。子どものいない人には増税になるとか、高所得者にも渡すのはおかしいとか、財源はどうするんだとか。
別にね、私が要望したわけでもないし、民主党さんがやらはる政策やから、私が批判に答える必要はなし。とはいうものの、実現されるかどうか、ハラハラドキドキです。
現行の児童手当は、小学校卒業まで。わが家の場合、第一子、第二子が各5,000円、第三子、第四子が各10,000円の、毎月3万円を4カ月に一度、まとめて12万円ずつ銀行振込でいただいています。ありがたく頂いているのですから、文句をいうわけではありません。ただ、現実問題として、子どもにかかるお金としては、まるで足りません。
民主党さんの子ども手当は、来年が各13,000円、4カ月に一度、20万8,000円と、現行より8万8,000円アップ。
再来年以降は各26,000円、4カ月に一度、41万6,000円と、現行より29万6,000円のアップ。
ものすごい差です。
期待しないのがうそでしょう。
子ども手当に関する報道やネット世論を注視していますが、だんだん変わってきたように思います。社会全体で子どもを育てていこうというような意見が目立つようになってきました。
大和総研ホールディングスのレポートは深い指摘があります。
子ども手当には、子育て支援ではなく、一種の社会貢献活動としての意味があるのだ。
日本の社会保障制度は、一定数の子どもが生まれてくることを前提に設計されているため、子どもが減り続けると制度は崩壊してしまう。したがって社会を維持していくためには、国民全員で次世代の育成を行う必要がある。しかし、現実にはそれは困難であり、実際には一部の人が代表して出産・育児を行っている。その意味で現代の出産・育児は、警察や消防などの公務と同等の活動である、といってもよいだろう。
民主主義社会においては、社会を維持するために必要なコストを支払うのは国民の義務であり、国民は納税というかたちで貢献している。そして、そのカネで消防や警察などの公務を行っている人たちを雇っている。これと同様に、出産・育児をする人も公務に携わっていると見なせるため、税から報酬が支払われて当然ということになる。出産・育児をする人に、税金を使って子育てを委託しているわけだ。
たしかに、そういう発想でとりくまないと、少子化対策はできないでしょう。少子化が進行すれば、社会システムが破綻してしまうのは自明の理です。4人の子を持つ私は、偉大な社会貢献活動をしているのである!!
と、子を持つ親としての立場では思いにくいものです。他人がそう思ってくれるのはありがたいとしても、やはりわが子はかわいいわが子。社会に貢献する目的をもって生んだわけでもなく、育てているわけでもありません。児童手当があろうとなかろうと、子ども手当があろうとなかろうと、子どもたちを慈しんで育てていくことになんの変わりもありません。もちろん、子どもたちを、社会的責任を自覚し、社会の一員として生きていくよう、育てていかねばなりません。しかしそれは、親から見れば、社会の責任ではなく、親の責任です。親として責任を持つことが、子どもたちへの精一杯の愛情だろうとも思います。
ところで、現実として、日本の社会は、子どもを育てにくいです。私たちの身のまわり、友人知人には、3人以上子を持つ方が少なくありませんが、3人以上子を持つことが、日本の社会では歓迎されていません。子どもを責任持って育てていくには、膨大な教育費用がかかります。並の所得では、1人の子を育てることが、精一杯でしょう。さらに、親は子をちょっとでも離すと危険が襲いかかる世の中。親は最大でも2人なのだから、3人子がいては、この安全を守れません。私自身、3人目の出産の際には「まだ産む気?」という反応があちこちからありましたし、4人目の際には、祝福というより「何考えてるの?」「無責任」「子どもがかわいそう」といった、冷めた反応が多く、4人子を持つことは、社会貢献どころか、「親として責任を果たせる限度外の行為」という冷たい視線に対する開き直りでもあります。
1人っ子でもそうだと思いますが、子どもの数が増えるほど、子育てに対して不安というより、恐怖を感じます。今の日本社会は、子どもを持ってはいけない、子どもを育ててはいけない、ましてや親の数以上の子を持つなんてもってのほか、というメッセージを発しています。
民主党さんの子ども手当が、たんにお金の問題にとどまらず、子どもにやさしい社会に変えていってくれるような政策であることを願ってやみません。
わが家は、幸いにも、田舎で暮らしているので、子育てに対する恐怖はいくぶんマシです。もし都会に住んでいたら、4人も子を持つなんて、怖ろしくてできません。童仙房もぜったい安全とは言い切れませんが、家の外で、親の見えないところで子どもたちが遊んでいても、どうってことはありませんし、地域の方はうちの子のことをご存知ですし、うちの子も、地域の人をわかりますし、こけてケガするていどのことはあったとしてもそれ以上の危険はあまりありませんし、学ぶための素材、生きる力を身につける素材は盛りだくさんです。
田舎の不利な点は、第一に子どもが極端に少ないことでしょうが、都会の子も人間関係がひどく限定されていることを思えば、特段の不利でもなさそうです。地域社会に価値観の多様性が乏しいことの方が、致命的に不利な点です。地域外と積極的に交流する活動で補えるなら、都会も田舎も変わりはないでしょう。今は、インターネットがあるので、ずいぶん田舎のハンディは薄らいでいます。田舎のハンディとして、教育機会の貧弱さもあります。財政事情から統合は避けられず、自ずから、通学、教育内容が都会とは比べるべくもないハンディを負ってしまいますし、塾も遠い上に選択肢が少ないです。わが家はホームスクーリングを選択しているので、教育上のハンディはありませんが。
これからの、怖ろしいほど厳しい、予測不能な世の中を生きていくために、社会からの温かいまなざしを期待するよりも、自ら考え、自ら行動し、既存のレールをあてにせず、荒野を切りひらいていくかのごときフロンティアスピリッツこそが、子どもに必要な「生きる力」ではないかと思います。そのようなチカラを身につけさそうと思えば、都会よりも田舎の方が、じゃっかん有利かなと、子どもたちをみてはそう思います。