身延山と七面山へ(2)
久遠寺の朝のお勤め(朝勤)は5時半(4~9月)からです。
私たちも参加するため4時過ぎに起き、父と第二子と第三子は菩提梯から登るというので4時40分ごろ宿坊を出ました。
母と第一子と第四子は斜行エレベーターを利用。
朝勤のあと久遠寺の境内を1周し、7時過ぎに宿坊に戻り朝食をいただきました。
こちら↓が斜行エレベーター。
予定が詰まっているため8時には宿坊を出発。
この日のメインイベントは「七面山の登詣(とけい)」です。
いわゆる登山というのは、子どもたちは初めてです(私とモモさんは18年前にも七面山に登っています)。
七面山(標高1982メートル)は法華経の聖地ともいわれ信仰の山ですが、南アルプスの山のひとつ(日本二百名山の一つに選定されているらしい)でもあるので、檀信徒以外に一般の登山客も多いようです。
七面山には表参道(羽衣)と裏参道(角瀬)の登り口があるのですが、今回は行きも帰りも表参道を使いました。
まず身延から車で移動し、表参道入り口付近に駐めて、山登りの準備。
そして、すぐそばの『白糸の滝とお萬の方の像』にご挨拶に。。
お萬の方(徳川家康の側室)はそれまで女人禁制だった七面山に、はじめて登詣した女性です。
「身延山から七面山への案内図」。昔の人は歩いて何日もかけて身延山から七面山にお参りしたようです。
熊出没注意の看板もあり、第四子がドキドキ…。
私たちの目的地は山頂ではなく、山頂付近にある敬慎院(標高1720メートル)。登り口付近の標高は505メートルなので、およそ1200メートルの標高差を登ることになります。
登り口が0丁(元丁)で敬慎院が50丁。1丁ごとに灯籠の形をした標石が置かれています。
第四子が思い出に?一つずつデジカメで撮っていました。
だいたい1丁毎に休憩用ベンチも置かれているのですが、途中約10丁毎にトイレ休憩や給水可能な坊(休憩所)が4箇所あります。
坊ではところてん(季節によってはぜんざい)やジュースなど販売しているところもありましたが、持参したものを食べている人も多かったように思います。
登り始めてからすぐに、母は子どもたちのペースについて行けず、1人でもくもくと登り休憩所で合流することに。。
あとはひたすら登っては休憩の繰り返し。この苦しさが修行であって、祈りでもあるらしい…
連休中だったこともあってか登詣者は私たち以外にもけっこういました。団体参拝はもちろんですが、個人で来られている方には、1人で、仲良しグループで、親子で、家族で…、下は0歳児らしい赤ちゃんから(もちろんお父さんお母さんが交代でおんぶしていました)上は70代くらいのおばあさんが杖をついてやっとこさっとこ登っている方もいらっしゃいました。モモさんと子どもたちは何人かの人とおしゃべりして「どこどこから来た」とか「毎年来ている」とか聞いたりしたそうです。
たしか29丁目あたりに、見晴らしのいいところがありました。小さいですが真ん中に見えているのが赤沢宿だと思います。
標高が高くなるにつれてだんだんと涼しくなってきます。蝉や鳥の鳴き声も普段家の付近で聞いているのとは違う種類のもののよう。。
46丁目の『和光門』。(母がいないのはカメラマンだからではなくて1人遅れているからです・汗)
50丁目まであと一息。
こちらが50丁目の『敬慎院』。母は皆より5分遅れて到着しました。ちょうど登り始めてから5時間くらいでした。
個人差あるけど大人で4~5時間が目安とあったので、まあまあですかね。。18年前は4時間くらいで登れたはずですが。
到着といいつつも、参籠する敬慎院に一旦荷物を預けて、ちょっと離れた奥の院まで歩くことに。
母はすでにこの時点で足がガクガクしています。が、他の家族は平気そう…?まだまだいける?
奥の院手前の『二の池』。
奥の院にある七面大明神が現れたという『影嚮石(ようごうせき)』
七面山奥の院の縁起
身延のご草庵に九ヶ年の間住まわれ御修行されていた日蓮聖人は、常日頃から念じつつも七面山には遂に登ることができませんでした。
そこで、師孝第一と仰がれていた日朗上人(六老僧の一人)は、御遺志を継がれ南部波木井公らと共に始めてこの山へ登られました。当時は非常に険しく道なき山でしたので、一行は尾根伝いに登って来られたと云われます。
夕暮れ近くにやっとの思いで到着し一休みしていた時、此の大きな石の上に、何とも神々しい光を放たれながら七面大明神がお姿を現されました。
日朗上人はこの大きな石を影嚮石(お姿を現す石)と名付け、その前に祠を結ばれて七面大明神をお祀りし、「影嚮石」と名付けられました。
これが七面山奥の院の開創であり、永仁五年(一二九七)九月十九日であります。
後に社殿は老朽化などで何回も改築され、参籠殿も時代と共に整備されるようになりました。(下記看板より)
七面大明神が竜の姿で現れたと伝えられている『一の池』
敬慎院まで戻ってきて、お風呂に入って(石けん・シャンプーは禁止のためお湯で汗を流すのみ)、17時から夕食です。
モモさんと来た時には2人だったからなのか、参籠者が多かったからなのかわかりませんが、お風呂にも入れず大部屋で他の人たちと一緒に雑魚寝したような記憶が。。
今回は6人(団体扱い?)だからなのか、そういう方針に変わったからなのかわかりませんが、家族のみの10畳ほどのふすまで仕切られた個室でした。
特大布団によろこぶ第三子と第四子。
18時半から御開帳、続いて19時から夕勤にでて、21時消灯なのですが、この日は夕勤の時間が長めだったのか消灯ぎりぎりの時間に終わりました。
にもかかわらず、せっかくなので特別に御開帳者のみ見学できる宝物などを若いお坊さんに案内していただきました。しかもこの時の参加者は我が家のみ。貴重な経験になりました。
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余談ですが、、この七面山での登詣で私、脱水症になっていたようです。自分では水分補給しているつもりが、予想以上に体には水分が足りていなかったようです。途中から手のむくみを感じ、トイレに行っても出ないのはなんでだろうと不思議に思っていたのですが、家に帰ってきて調べて謎が判明しました。自宅に帰ってきてからは筋肉痛だけが残り、他の症状はすぐに改善しています。もし次回があるならば、水分補給は念入りにしておこうと思います。
にゃん太郎さん、コメントありがとうございます。
>血中塩分の低下でも脱水症状が起こりますよ。
そうですね。
普段家族には熱中症対策で水分と同時に塩分(ミネラルを含んだ)も摂るようにけっこう言っているのですが、肝心の自分の時には、両方ともぜんぜん足りていなかったようです。。
血中塩分の低下でも脱水症状が起こりますよ。