勝つこと、負けること
世間では、人文社会系の学問を軽視する風潮が強くなっています。その中でも、哲学、文学、歴史といった、お金につながらないと見える分野は、無価値で邪魔者扱いされるようです。
まったくもって、とんでもない。哲学、文学、歴史こそ、知性に他なりません。知性とは、知識ともスキルとも技術とも経済とも違います。人間が人間たることの根本です。歴史上、知性をないがしろにした国家や政権はいくつもありますが、その文明は後退、または衰退、または滅亡しています。
というのが、私の持論です。
さてさて、12月6日、伊賀上野の忍者屋敷と上野城へ子どもたちを連れていったその足で、とうぜんのごとく、同じ上野公園内にある芭蕉記念館へも行きました。伊賀上野は、松尾芭蕉の生誕地です。
そこにあったクイズに子どもたちが挑戦したところ、職員さんが非常にていねいなご対応をしてくださり、入館料をうわまわる景品まで頂戴し、いたく感激しました。
その芭蕉記念館で、1月24日にカルタ大会が催されることを知ると、子どもたちは参加を熱望しました。地域外になりますが、問い合わせをすると、どうぞとのことで、子ども3人の参加を申し込みました。
それからというもの、子どもたちは、燃えに燃えて、芭蕉のカルタで練習したいといい、俳聖カルタを買ってやると、猛特訓を始めました。私は、勝負に勝つことなど求めていないし、楽しんでくれたらじゅうぶんと思っているのに、子ども3人は、星飛雄馬なみに燃えていました。読み手1人と取り手2人を交代しながら、わずかの期間に50回を越える実地訓練。あまりに激しすぎて、爪で手をけがするなどのエキサイトぶり。親はノータッチです。さすがに、50句ほどの大部分を暗唱してしまいました。
ちょっと私は不安を覚え、こんな話をしました。
「あなたたちが馬鹿にされるのはかまわない。でも、絶対に人を馬鹿にしてはならない。昔話でも伝記でもみてみろ。人を馬鹿にして幸せな人生を生きた人はいない。馬鹿にされて幸せな人生を生きた人はざらにいる」
さて、当日。伊賀上野へ向かう車中で、子どもたちに念を押しました。
「あなたたちが、ぼろ負けするなら、それでよい。もし、あなたたちがぼろ勝ちするようなことがあったとしても、絶対に他の子たちを馬鹿にしてはならん。あなたたちが悔しい思いをするのはかまわない。でも、他の子たちの心をくじくようなことをしてはならん」
第二子はすかさず、「だいじょうぶ。そんなことするわけないやん。わかってるよ」
第三子も、「ぜったいだいじょうぶ」
集合時間よりかなり早く、1番に会場へ到着。
参加した子は17人。おおむね学年ごとに4つのグループにわかれます。子どもたちは、それぞれ別グループです。
カルタは、俳聖カルタではなく、芭蕉記念館のオリジナルのようです。子どもたちが知らない句もありました。とくに第三子と第四子が緊張しており、ぜんぜん力を発揮できないかな、と見えました。伊賀市ケーブルテレビと新聞記者も取材に来ていました。
親は、別室でお茶の体験です。作法を教わりながら抹茶を頂き、お菓子を頂きました。
その間、カルタは進行中で、カルタ部屋へ戻ってみると、白熱(?)の戦いが繰り広げられています。
甘えんぼうの第四子も、しっかりと戦っています。というか、ぶっちぎりじゃないですか。あきらかに、低学年では、慣れがものをいうようで、他の子が動くより先に、第四子がゆうゆうと札をとり続けています。
中学年の第三子は、男の子2人を相手に、これもぶっちぎり。
第二子は、さすがに高学年が相手。他の子もかなりやります。というか、第二子は、家でやっていたときとは大違いで、かなり遠慮気味です。
結果。第二子は4人グループ中2位。第三子は3人中1位(1人で半分以上の札をとりました)。第四子は5人中1位(3分の1をとりました)。第三子と第四子は圧勝です。
各グループの1位には、景品がありました。芭蕉の一筆便箋です。全員に参加賞として芭蕉クリアファイルとノート。
順位が問題ではありません。私が問題にしたのは、勝ち方、負け方です。勝ち負けも、どうでもいい。事前の自主的な特訓(?)を見ていると、子どもたちは、勝つことに執着しているように見えました。ケガをしても、ケガをさせてもかまわないというほどに。しかし、当日は、3人とも、他の子たちを押しのけてでも勝つという態度を見せず、その場を楽しむことに終始しました。第四子は、最初の1枚をとったときに、今日は1枚しかとれないものと思ったそうです。
いちおう、勝負なので、わざと負けるというのは失礼です。相手を尊重しながら一生懸命取り組んで、勝つなら勝てばいいし、負けてもいい。
第三子も第四子も、そのように取り組んでくれたのが、とてもうれしい。
第二子は、1位にならなかったけど、勝った子を称えていたし、第三子や第四子をねたむこともなかったのがすばらしい。家での特訓ぶりをみていると、第二子は本番で遠慮していたように見えます。もし、本気でやっていたら、違う結果だったかもしれません。手抜きではなく、やや自分にハンディを課していたように見えます。
私は、勝利をほめたりしない。わざと負けることを推奨することもない。勝負よりもっと大事なことをつかむこと。それができればすばらしい。
他の子たちも、それぞれが楽しんでいるようすでした。それがうれしい。
この世は競争原理だなんて信じ込んでいる人も少なくないようです。そんなことはない。この世は共生原理です。それは、平等とか公平とか正義とかとはちがう。あるとき、勝ち負けがでようとも、それは、共に生きることの形に過ぎない。
今日、子どもたちは、それを学んでくれたように見えます。もし、本当にそうなら、親として一番の喜びです。
親として『子育て』の気概に一本背筋が通っている姿に新鮮な感動を覚えました。
考えを押し付けるのではなく「考え方」そのものを教えている子育てへの度に大いに共感を覚えます。