心 | 今日もいい天気のブログ記事

七面山の朝も早いです。4時起床(布団を片付けられます)、4時半から朝のお勤め(季節によって時間は変わるようです)です。

がその前に…七面山の山頂は富士山の近くから日の出が見られるのが有名で、参籠者のほとんどがいわゆるご来光を拝もうと朝早くから集まってきます。

この日は確かAM4:35頃が日の出の時間でした。

夜は思っていたよりも部屋の中は寒くなく半袖でもいいくらいでしたが、さすがに早朝の外は半袖の上に一枚長袖が欲しい寒さでした。

AM4:18時点の空。

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AM4:24時点の空。

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AM4:42時点の空。

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あいにくの曇り空で、太陽の姿が見られそうになかったので、AM4:45には敬慎院に戻りました。

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朝のお勤め後、部屋に戻って朝食です。5時半に朝ご飯!!ちなみに前日もそうでしたが手桶にお味噌汁がはいってます。

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事前の計画では8時半ごろ出発予定でしたが、ご飯を食べ終わり片付けをしていたら、もうほかの部屋は空っぽ。

皆さん、すでに下山?された雰囲気です。

私たちもあわてて帰り支度をして出発することにしました。出発はAM6:25。

敬慎院の前でお坊さんが撮ってくださいました。

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AM6:42ごろの富士山と太陽です。

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登る時とは違い、降りる時は家族揃って一緒に歩くことができました。

ただし、三女が靴があわないのか、足が痛いと言い出しました。なんとか下山できましたが…

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個人グループでは私たちが一番最後に出発したはずが、途中で団体さんに追いつきました。

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登りは5時間かかったのが、くだりはほぼ3時間でした。おつかれさま。

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あと2回続きます。

久遠寺の朝のお勤め(朝勤)は5時半(4~9月)からです。

私たちも参加するため4時過ぎに起き、父と長女と次女は菩提梯から登るというので4時40分ごろ宿坊を出ました。

母と長男と三女は斜行エレベーターを利用。

朝勤のあと久遠寺の境内を1周し、7時過ぎに宿坊に戻り朝食をいただきました。

こちら↓が斜行エレベーター。

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予定が詰まっているため8時には宿坊を出発。

この日のメインイベントは「七面山の登詣(とけい)」です。

いわゆる登山というのは、子どもたちは初めてです(私とモモさんは18年前にも七面山に登っています)。

七面山(標高1982メートル)は法華経の聖地ともいわれ信仰の山ですが、南アルプスの山のひとつ(日本二百名山の一つに選定されているらしい)でもあるので、檀信徒以外に一般の登山客も多いようです。

七面山には表参道(羽衣)と裏参道(角瀬)の登り口があるのですが、今回は行きも帰りも表参道を使いました。

まず身延から車で移動し、表参道入り口付近に駐めて、山登りの準備。

そして、すぐそばの『白糸の滝とお萬の方の像』にご挨拶に。。

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お萬の方(徳川家康の側室)はそれまで女人禁制だった七面山に、はじめて登詣した女性です。

「身延山から七面山への案内図」。昔の人は歩いて何日もかけて身延山から七面山にお参りしたようです。

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熊出没注意の看板もあり、三女がドキドキ…。

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私たちの目的地は山頂ではなく、山頂付近にある敬慎院(標高1720メートル)。登り口付近の標高は505メートルなので、およそ1200メートルの標高差を登ることになります。

登り口が0丁(元丁)で敬慎院が50丁。1丁ごとに灯籠の形をした標石が置かれています。

三女が思い出に?一つずつデジカメで撮っていました。

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だいたい1丁毎に休憩用ベンチも置かれているのですが、途中約10丁毎にトイレ休憩や給水可能な坊(休憩所)が4箇所あります。

坊ではところてん(季節によってはぜんざい)やジュースなど販売しているところもありましたが、持参したものを食べている人も多かったように思います。

登り始めてからすぐに、母は子どもたちのペースについて行けず、1人でもくもくと登り休憩所で合流することに。。

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あとはひたすら登っては休憩の繰り返し。この苦しさが修行であって、祈りでもあるらしい…

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連休中だったこともあってか登詣者は私たち以外にもけっこういました。団体参拝はもちろんですが、個人で来られている方には、1人で、仲良しグループで、親子で、家族で…、下は0歳児らしい赤ちゃんから(もちろんお父さんお母さんが交代でおんぶしていました)上は70代くらいのおばあさんが杖をついてやっとこさっとこ登っている方もいらっしゃいました。モモさんと子どもたちは何人かの人とおしゃべりして「どこどこから来た」とか「毎年来ている」とか聞いたりしたそうです。

たしか29丁目あたりに、見晴らしのいいところがありました。小さいですが真ん中に見えているのが赤沢宿だと思います。

標高が高くなるにつれてだんだんと涼しくなってきます。蝉や鳥の鳴き声も普段家の付近で聞いているのとは違う種類のもののよう。。

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46丁目の『和光門』。(母がいないのはカメラマンだからではなくて1人遅れているからです・汗)

50丁目まであと一息。

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こちらが50丁目の『敬慎院』。母は皆より5分遅れて到着しました。ちょうど登り始めてから5時間くらいでした。

個人差あるけど大人で4~5時間が目安とあったので、まあまあですかね。。18年前は4時間くらいで登れたはずですが。

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到着といいつつも、参籠する敬慎院に一旦荷物を預けて、ちょっと離れた奥の院まで歩くことに。

母はすでにこの時点で足がガクガクしています。が、他の家族は平気そう…?まだまだいける?

奥の院手前の『二の池』。

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奥の院にある七面大明神が現れたという『影嚮石(ようごうせき)』

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七面山奥の院の縁起

身延のご草庵に九ヶ年の間住まわれ御修行されていた日蓮聖人は、常日頃から念じつつも七面山には遂に登ることができませんでした。
そこで、師孝第一と仰がれていた日朗上人(六老僧の一人)は、御遺志を継がれ南部波木井公らと共に始めてこの山へ登られました。当時は非常に険しく道なき山でしたので、一行は尾根伝いに登って来られたと云われます。
夕暮れ近くにやっとの思いで到着し一休みしていた時、此の大きな石の上に、何とも神々しい光を放たれながら七面大明神がお姿を現されました。
日朗上人はこの大きな石を影嚮石(お姿を現す石)と名付け、その前に祠を結ばれて七面大明神をお祀りし、「影嚮石」と名付けられました。
 これが七面山奥の院の開創であり、永仁五年(一二九七)九月十九日であります。
後に社殿は老朽化などで何回も改築され、参籠殿も時代と共に整備されるようになりました。(下記看板より)

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七面大明神が竜の姿で現れたと伝えられている『一の池』

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敬慎院まで戻ってきて、お風呂に入って(石けん・シャンプーは禁止のためお湯で汗を流すのみ)、17時から夕食です。

モモさんと来た時には2人だったからなのか、参籠者が多かったからなのかわかりませんが、お風呂にも入れず大部屋で他の人たちと一緒に雑魚寝したような記憶が。。

今回は6人(団体扱い?)だからなのか、そういう方針に変わったからなのかわかりませんが、家族のみの10畳ほどのふすまで仕切られた個室でした。

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特大布団によろこぶ次女と三女。

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18時半から御開帳、続いて19時から夕勤にでて、21時消灯なのですが、この日は夕勤の時間が長めだったのか消灯ぎりぎりの時間に終わりました。

にもかかわらず、せっかくなので特別に御開帳者のみ見学できる宝物などを若いお坊さんに案内していただきました。しかもこの時の参加者は我が家のみ。貴重な経験になりました。

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余談ですが、、この七面山での登詣で私、脱水症になっていたようです。自分では水分補給しているつもりが、予想以上に体には水分が足りていなかったようです。途中から手のむくみを感じ、トイレに行っても出ないのはなんでだろうと不思議に思っていたのですが、家に帰ってきて調べて謎が判明しました。自宅に帰ってきてからは筋肉痛だけが残り、他の症状はすぐに改善しています。もし次回があるならば、水分補給は念入りにしておこうと思います。

教会の外は、ガーデンです。

ガーデンの案内標が、ゾウをのんだウワバミです。じつはこの下の花壇の形が「ゾウをのんだウワバミ」なのです。このミュージアムには、いろんな仕掛けがいっぱいあります。仕掛けというか、メッセージが。

展示室に入ると、(実物大?)飛行機の模型があります。サン=テグジュペリは、飛行士でした。『星の王子さま』も主人公の「ぼく」は飛行士(作者そのもの)です。王子さまは、乗り物に乗らずに星を巡って地球へやってきました。サン=テグジュペリは、『夜間飛行』『南方郵便機』など、飛行機を主題にした作品も残しています。飛行機を通して、何を見たのでしょうね。

展示室の2階は、サン=テグジュペリの生涯を展示してあり、撮影できません。その先、再び1階へ降りると、夜を基調とした展示があります。また、あの人たち(王さまとか、事業屋とか)に会えますが、屋外とはずいぶん印象が違います。
手前に見えるのは、王子さまにとってかけがえのない1本のバラです。


これは、だれのこと?
「命令ばかりするこの人物は、実際には何の権威も持っていません。それでも、架空の地位や体面に傷がつくことを何よりも恐れています」

キツネもいます。美しい光景です。そして同時に、強いメッセージも感じます。それは言葉にはできません。「大切なものは目に見えない」のですから。

展示室の外は、フランスのおしゃれな通りが再現されています。

角をまがると、井戸があります。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ……」
「そうだよ、家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」

ここで、ひととおおり、コースを巡りました。
「謎解きプログラム」は、これから、暗号解読に移ります。これが難しい。家族6人でよってたかっても、解けません。
ミュージアム内には、スタッフのお姉さん方が、そこここにおられます。謎解きプログラムで悩んでいると、声をかけてくれます。少しのヒントをいただくと、やったー!解けました!!
ここのスタッフのみなさん、とても感じがいいです。『星の王子さま』を心から愛しているのが伝わってきます。

夕刻、薄暗くなってくると、ライトアップが見事です。
サン=モーリス・ド・レマンス城と、フランス庭園。

「ウワバミの小径」の王子さま。
ミュージアムに行かれる方は、ぜひ、夕刻のライトアップを味わってください。

入館してほぼ3時間。たっぷりと『星の王子さま』を堪能しました。
そして、最後はミュージアムショップです。3人の娘たち、このお買い物をとても楽しみにしていました。小遣いとか、貯めていたお年玉とかを、それぞれが持って行っていました。

これが、ショップで買ったもの全部です。ほとんどが3人娘の買い物ですが、右端は、父、母、長男の買い物です。
買い物を含め、ミュージアムにいたのは3時間半。
18時ごろになって、御殿場インターへ向かいました。

・:*.・☆。・:*・。.。・:*.・☆。・:*・。.。・:*.・☆。・:*・。.

あれもこれもすごくきれいで良かった、と、家族みんなの感想。私もそう思います。
でも、それって、「目に見えるもの」では?
あのステキな光景に、強いメッセージが散りばめられていました。見えるメッセージではなく、感じるメッセージ。「目に見えない大切なもの」って、何でしょうね? 子どもたちがそっと感じてくれれば、それでいいです。たくさん買った品物も、そこから感じてくれるなら、お金に換えられない財産でしょう。
 

10月10日、埼玉からの帰り、東名高速道路の御殿場インターでおりて、箱根の「星の王子さまミュージアム」に行きました。

私は若いころ、『星の王子さま』を100回は読みました。人類史上最高の文学作品だと思っていましたし、今でもそう思います。児童文学の様相をしていますが、少々子どもには難しいかも。ふしぎなことに、おとなでも、「ぜんぜんわからない」という人が意外に多いです。わかる人とわからない人が、極端にわかれるようです。ちなみにうちの子たちは、小3の末っ子には少々難しく、小5の次女以上は普通に読んで楽しんでいます。

冒頭部分の「ぞうをのんだ ウワバミの絵」がすべてですね。わかるかわからないかの試金石。作中、大人を揶揄する場面が展開し、王子さまが地球へ来てキツネやヘビと会話しながら「大切なこと」に気づきます。

これがミュージアムの入口です。王子さまが住んでいる星と、王子さま。火山やバラが忠実に再現されています。

チケット売り場には、「謎解きプログラム」の案内が。事前にサイトをチェックして知っていたのですが、もちろん、わが家は参加しました。これ、かなり難易度が高いです。家族で共同の参加です。

館内はこんな感じ。中央に展示室があり、周囲が庭となっています。右上に突き出た部分が教会です。エントランスは左下。

エントランスの向こうはさっそく、別世界。

フランス風の建物と、バラ園。この建物は、展示室です。

バラは、重要なアイテム。5000のバラと、かけがえのない1つのバラが、どう違うのか。王子さまは地球へ来て、それを学びました。いずれも、同じバラです。同じバラなのに、あるものは違う。その違いは、なんでしょう?
目に見える次元では、どこにも違いはありません。「本当に大切なものは目に見えない」というのが、『星の王子さま』のテーマです。

こんなところにひっそりと、モニュメントが。王子さまの両側に、ヒツジとキツネ。この両者は、作品の中で重要な役目を果たします。とくにキツネは、王子さまとの対話の中で、意味の深いことを言って、王子さまの心に灯をともします。このモニュメントの形、神社の狛犬を思わせます。

そこから奥へ向かう通りは、とてもしゃれた「街道」です。建物にみえるウィンドウは、実際の店舗ではありません。

 

 

いました、いました。愛すべきあの人たち。王さま、実業屋、地理学者、点燈夫。ほんとに、ほんとに、バカげた人たちなのですが、まさに、私たち大人の姿そのものです。

その奥には、教会があります。とはいえ、本物の教会ではなく、

中では、ワークショップ「ノートバイキング」を開催中。オリジナルノートを作れます。長女と三女が参加。
 

祖父母と言っても私の祖父母ではなく、子どもたちからの祖父母つまり私の両親のことです。

先日の3連休、私の埼玉の実家まで行ってきました。私と子どもたちは今年の3月にも行っているので7カ月ぶりですが、去年は行けなかったと思うのでモモさんは2年ぶりくらいです。

行きは雨がかなり激しく降ったところもあったのですが、到着した頃にはほとんど雨もあがっていました。

実家に行くとご飯の準備は毎回母が主にしてくれるのですが、娘たちも率先して手伝うので、私はほとんど何もせず楽させてもらっています。

そして今回は庭の草引きもおばあちゃんが困っていたので、長女と次女で少し手伝いました。

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家自体ももうだいぶ古くなってきてあちこち傷んだりしているので、モモさんが行く度に簡単に直せるところは直してくるのですが、今回はお風呂場の扉が傾いて閉まらなくなっていたので、長男と一緒に修理してくれました。

3月に行った時、子どもたちはおばあちゃんおじいちゃんとよくトランプをしていたのですが、今回はなぜかオセロにはまり、空いている時間があるとずーっと誰かと誰かが対戦していました。

父方の(私の)祖父母のお墓参りにも行ってきました。次女と三女がすすんでお墓の掃除をしてくれたので、おじいちゃんおばあちゃんも喜んでくれました。

夜は子どもたちが寝た後、1日目の夜は私とモモさんで母の愚痴を聞いたり、2日目は父もめったにモモさんと直接話せる機会がないので父母私モモさんで話をしました。

父は今まで4回死にかけているのですが、その時の臨死体験のようなこととか、1回目に脳梗塞で倒れたときは当時1歳の長男が病院に見舞いに来てくれた時に元気をもらったこと、3年前に倒れた時は三女がやはり病院にお見舞いに来てくれたので元気づけられたことなどを話していました。

そんな話をしていたら、父が突然、「モモさんに謝りたいことがあるんです…」と。何かと思ってドキドキ待っていると、13年前に長女が生まれた時のこと、母が私の出産のために手伝いにこちらまで来てくれていたのですが、父は一人で埼玉で留守番できずに勝手にこちらまで来てしまったことがあり、その時モモさんが風邪をこじらせ高熱だったのにもかかわらず駅まで迎えに行ったことがあったのです。そのことが父の心の中ではずーっとひっかかっていたようなのです。母も散々その時にモモさんが大変だったことを言っていたと思うので。。

私は出産直後で病院に入院していたときの出来事で当時も母から伝え聞いていたことしか知らず、モモさん自身もあまりの高熱で当時のことをほとんど覚えていなかったようで、そんなことがあったような…、、という認識のようでした。

父は特に近しい間柄の人にはもちろんですが、なかなか自分から謝ることができる人ではないと思うので、父の心境の変化に私もとてもびっくりしました。素直に「ごめんなさい。」と言えてよかったね、お父さん。

超特急のように帰ってしまったけれど、おじいちゃんとおばあちゃんの役に立てたかな。

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