奥出雲へ(2)
☆新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でお出かけ自粛中のため、去年の旅の記録です。☆
前回に続いて訪れたのは「金屋子(かなやご)神社」です。
全国に1200社を数える金屋子神社の総本山です。簡単に言うと製鉄にかかわる神様です。
主祭神は金山彦命・金山姫命。配祀祭は素戔嗚命、外二十三柱。
金屋子神社由緒には
当社に伝わる「金屋子祭文雲州比田ノ伝」に依れば、金屋子神は、村人が雨乞いをしていたところへ雨と共に、播磨国岩鍋(兵庫県千草町岩野辺)に天降り、吾は金作りの金屋子神である、今よりあらゆる金器を作り、悪魔降伏、民安全、五穀豊饒のことを教えようと、かくして盤石をもって鍋を作り給うた。故にこの地を岩鍋という。だが、此処には住み給うべき山がなかった。そこで、吾は西方を司る神なれば西方に赴かんとして、白鷺に乗って西国に赴き、出雲の国能義郡黒田奥比田の山林に着き給い、桂の木に羽を休めておられるところ、たまたま狩りに出ていた安部正重(宮司の祖先)が発見し、やがて神託により、長田兵部朝日長者なる者が宮居を建立し、神主に正重を任じ、神は自ら村下(技師長)となり給い、朝日長者の集めた炭と粉鉄(砂鉄)を吹き給へば、神通力の致すところ、鉄の涌くこと限りなしとある。 明治七年に天田神社、同四十年に八幡宮外十社を合祀した。
とありました。
参道横にある池には、昭和に入ってから氏子さんが寄進された「金儲神社」がありました。
金儲神社の由来は↓
こちらも参拝。
そして池の脇に置いてあったクーラーボックス、中を見てみると鯉のエサがありました。
金屋子神社から歩いてすぐの所に「金屋子神話民俗館」があります。
地域の生活の歴史の移り変わりを、「金屋子さん」という神をテーマに紹介されています。
今回私たちは他のたたら製鉄に関する施設をまわる時間がなかったので、こちらでたたら師や鍛冶や炭焼きにとってかかせない祭りや信仰に関する概要を見学できてよかったです。
参考:金屋子神を祀る人たち(出雲国たたら風土記、鉄の道文化圏より)
次に訪れたのは、「鬼の舌震(したぶるい)」。
下記の説明にあるとおり、自然が造り出した壮大な景観を見るための歩道が整備されています。
私たちは下記のマップの左の「現在地」から出発して、右の「舌震上橋〈黒字〉」まで行きUターンするルートを歩きました。
高さ45m、長さ160mの「舌震の“恋”吊橋」。出だしからスリル満点です。
前日雨だったため、遊歩道の板が乾いておらず所々滑りやすくなっていました。
遊歩道の途中にも見所スポットには簡単な説明板があるのでわかりやすいです。
いろんな角度から景色が見られます。
岩がたくさん集まっているところ。
草がぼうぼうのところもあり、こういうところを歩いていると、家の近所を歩いているような錯覚に陥ります。
高低差もけっこうあり、登ったり下ったり。整備した人たちはたいへんだったんだろうな、なんて思いながら歩きました。
行きに歩いた吊り橋を下から見たところ。
ところで、「鬼の舌震」の由来は、
鬼の舌震とはいかにも恐ろしそうな名前ですが、この名の由来は出雲風土記によれば、阿伊(現在の馬木)の里に美しい姫が住んでおり、この姫を慕って日本海に住む悪いワニが夜な夜な川をさかのぼってきた。姫は、このワニを嫌って大岩で大馬木川をせきとめ、姿をかくしてしまった。しかし、ワニの姫に対する気持ちは変らず、その後も幾度となく川をさかのぼってきたと記されています。この“ワニの慕ぶる”が転訛して鬼の舌震と呼ばれるようになったといわれています。島根県
とありました。
だからこんな顔出しパネルが設置されているんでしょうね。
まだつづきます…