奥出雲へ(1)
☆新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響でお出かけ自粛中のため、去年の旅の記録です。☆
2018年に行った島根鳥取(古代出雲王国をめぐる旅)がとてもよかったので、2019年の夏も島根方面へ家族で行きました。
今回の旅のテーマは「たたら製鉄とヤマタノオロチ伝説」です。
奥出雲地方は『出雲国風土記』にも記されているように、古代からたたら製鉄の盛んな場所でした。
が1日目は雨で予定していた通りには移動できず、早めに宿に入りました。
奥出雲のゲストハウス「JECK」さん。2階部分を丸々貸し切りです。
夕食後、明日の予定を打ち合わせ。
2日目。朝食後「JECK」さんを8時過ぎに出発。
まず最初は「稲田神社」へ。
スサノオノミコトの妻となるクシナダヒメ(稲田姫)が主祭神として祀られています。
稲田神社から少し歩いた所に稲田姫の「産湯の池」や臍の緒を切った竹から生えたといわれる「笹宮」があります。
案内板には
今の横田地区大曲長者原に国つ神のアシナヅチ、テナヅチの夫婦が住んでいました。ここ稲原に耕作に来ている時、テナヅチがにわかに産気づきました。そして生まれたのが、稲田姫です。二人は、この池を産湯として使い、アシナヅチは近くにあった竹でヘラを造り、臍の緒を切ったと伝えています。
稲田神社の少し手前に「笹宮」という、笹をご神体とする宮があります。これは、臍の緒を切ったヘラを逆さまに刺しておいたところ、そこから萌芽して現在のようになったといわれています。(略)
とありました。
次は「伊賀多気(いがたけ)神社」です。
主祭神は五十猛命(イソタケル)。林業の守護神として崇めたてられているようです。
以下「略記」の抜粋です。林業の守護神といわれる背景やヤマタノオロチ伝説の元とも読み取れる内容が興味深いです。
伊賀多気〈いがたけ〉神社は、垂仁天皇の御代に創建せられた延喜式内の古社にして、出雲風土記に神祇官社・延喜之制・小社とせられている。(略)
御主祭神は、素戔嗚尊の御子神五十猛命〈いそたける〉である。相殿として素戔嗚尊大己貴命を合せ祀っている。父神素戔嗚尊が姉神天照皇大神のおいかりにふれられ、高天原を逐はれ朝鮮の新羅国〈しらきのくに〉曽尸茂梨〈そしもり〉の地に降られた時、父神と共に降られ父神をたすけられた。後に父神が本土へお帰りの折お供をし五十猛(太田市)の浦へ着かれた。その時命は曽尸茂梨より樹木の種子をお持ち帰りになった。父神と共に簸乃川上にのぼられ、稲田の里にて稲田の地頭・脚摩乳〈あしなつち〉、妻の手摩乳より「オロチ」の被害を聞かれ、父神と共に鳥髪山〈とりかみ〉(舟通山)に登られ、オロチ族の鉄穴〈かんな〉流し(鉄の原料である砂鉄〈こかね〉を採るため山を崩して流す)のため四方の山々が禿山となっており、これでは雨期に洪水となり人々が難渋〈なんしゅう〉するので、命が、父神はオロチ族に欺様なことをしない様直接談判をして下さい(オロチ退治)。私は鳥髪山から乾〈いぬい〉の方角に当る地にとどまり、住民と共に樹木の苗を育て荒れ山に植樹して治山治水を行いますと申された。その地が御当社御鎮座地角村である。命は住民に「杉及び楠」は浮舟に、「桧木」は御殿を作れ、「マキ」の木は火をたいて物を焼くのに用いよと教えられた。(略)
次は「奥出雲たたらと刀剣館」へ。
入り口には巨大なヤマタノオロチのモニュメントが。
パネル・映像などで、たたら製鉄に関すること、「日刀保たたら*」についての説明があります。
*日刀保たたら:砂鉄と木炭から玉鋼(たまはがね)を作り出す日本の伝統的な技法を再現し、操業している唯一の製鉄所
鍛冶場の展示物・ジオラマなど。
おおきな実物大のたたら炉断面模型。
吹子の実物模型で体験もできる。
このほかにも、地元刀匠による日本刀鍛錬実演もやっていたのですが、私たちは時間がないのでパスしました。
続いて訪れたのは「鬼神(おにがみ)神社」です。
御祭神は五十猛命(イソタケル)と素盞嗚尊(スサノオノミコト)。
鳥居の横には「岩船大明神」と呼ばれる巨岩があります。
説明板には
スサノオとイソタケルが新羅の国から埴船(土でつくった船)に乗って船通山を越え、ここに降り立ちました。
この「岩船大明神」は、その土岐の埴船が岩に化したもので、地上に出ているのは2メートル程ですが、地下は数メートルにおよび、誰一人として動かすことはできないといわれています。
また、ここ鬼神神社の裏山には、イソタケルの御陵墓とされる墳墓があり、「御陵さん」と地元の人は呼んでいます。(以下略)
とあります。
拝殿の横の道から裏山に登っていくと鳥居が見えます。
そこから少し登ったところに「五十猛尊御陵地」の石碑がありました。
つづく…