古代出雲王国をめぐる旅(4)

2日目のつづきです。松江市にやって来ました。

次は「田和山遺跡」です。1997年、松江市立病院の移転建設に伴って丘陵地を発掘調査したところ、そこから弥生時代の環濠が発見されました。

現在、田和山史跡公園として整備され見学できるようになっています。私たちは西側入口に車を駐めて、歩きました。

     

西側住居部に復元された、竪穴住居(左)と掘立柱建物(右)

    

山頂部まで登ったり、下ったりの道が続きます。

    

左の白い高い建物が松江市立病院です。

   

山頂部には5本柱遺構(建物)と9本柱遺構(建物)、注穴(柵)が見つかっています。遠くまで景色が見渡せます。宍道湖も見えました。

  

下りて、北側住居部へ。

  

 

夏なので少し草が生い茂っていましたが、3重の環濠部も下りて見られるようになっている箇所がありました。

  

私たちが駐車場に戻ると、田和山館(管理室)にボランティアの方が来られていました。少し話しを聞くことができました。

ところで環濠というと、通常は住居が集まった集落があるようなのですが、こちらの田和山遺跡にはそのような形跡がみられず、何のために築かれたのか、はっきりとはわかっていないようです。

*    *    *

しかし、大元出版から明かされている出雲の伝承では、はっきり記されています。古代出雲王国にとって最も大切な場所で、滅亡の際に真っ先に狙われた場所です。

その時にここで戦死した出雲の人たちを埋葬したのが、田和山遺跡の北東にある「友田遺跡」です。ところがその友田遺跡は、現在跡形もなくなっており、一本の碑が立っているのみでした。

 

“多数の勾玉や管玉を身につけた有力者の土壙墓や四隅突出型墳丘墓が築かれていたことから、弥生時代中頃の代々の支配者の墓地と考えられています”

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