サードプレイスの崩壊

私は社会人として働いていた3年目の1995年、大学受験で失敗したあとも学びたかった心理学を仕事帰りに勉強しに行くことにします。カウンセラーの方が開いていた私塾のようなものだったので、受講しに来られていた人たちも、自分の仕事や人間関係に役に立てば…くらいの社会人が多かったように思います。心理学の基礎知識やカウンセリングの簡単なワークを学び体験するうちに、私は「カウンセラーになる前に自分が癒やされなければダメなんだ」ということに気づきます。そこでの1年の講座が終わろうとしていた頃「箱庭療法」を体験する機会がありました。

「すごく楽しい!またやってみたい!」というのが、はじめて箱庭を作ってみた時の感想でした。

カウンセリングを受けているわけでもなく、専門医にかかっているわけでもない個人が、箱庭を体験できる「場」はないだろうか。。

そんなことを検索している時に偶然見つけたのです。Sさんのホームページを。まだ個人でホームページを作っている人はごく少数の頃、ご自身が作られた箱庭を掲載していました。私はワクワクしながら見ず知らずのSさんにメールを送っていました。そして箱庭を作れるカウンセリングルームを紹介してもらいます。Sさんも箱庭を作りに行っていたそこに、結局は結婚で関東を離れることになるまでの間(1996年の夏から1999年の春まで)、1カ月に1度、箱庭作りに2年半通いました。

その頃、現実の私には職場にも学生時代からの友人の中にも、心理学を通して学んだことや体験したこと、スピリチュアル系の気に入った本の話などを気軽に話せるような相手はいませんでした。そんな時にSさんから「今度メーリングリストをはじめますが、どうですか?」というようなお誘いを受けます。それがのちにパートナーとなるモモさんと出会った場所『癒やしと気づきのメーリングリスト(以下、気づきのML)』でした。

今でこそ、スピリチュアルカウンセラーや○○セラピストという肩書きの方のブログは数え切れないほどありますが、当時、ネット上でも現実の世界でも、目で見えない世界のこと、心の話、魂の話など話せる場はとても少なかったと思います。『気づきのML』は、年齢・性別・職業・住んでいる場所を越えて、当たり前のようにそんな不思議な話が飛び交っているところでした。またそこで出会った人たちとは現実世界での交流も盛んに行っていました。いわゆるオフ会です。

MLにはハンドル名で参加していた人も多く、本名や顔も声ももちろん知らない、インターネット内でしか知らない人たちと初めて会う時というのは、なんとも奇妙な感じがしました。が、人見知りの私でも、すぐに打ち解けることができ、このオフ会には積極的に参加していました。関東でのオフ会はもちろん、中部、関西、時には海外のMLメンバーにも会いに行ったことあります。

モモさんと初めて実際に会ったのは、1997年の夏でした。私が関西に住んでいるMLメンバーと会うため、夏休みに埼玉から遊びに行ったのです。その時はまだタダのMLメンバーの一人に過ぎませんでした。

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1990年代後半、インターネットの世界は無限の可能性を秘め、それを垣間見せてくれていました。

実生活では出会えないような人たちと出会えたこと、また、距離と時間を越えてつながれる仲間。

インターネットは私にとって、サードプレイス(第1の居場所は家庭、第2の居場所は学校又は会社、それに対する第3の居場所という意味のことば)であり、(家入さんも書いていたけれど)ある意味『聖域』でした。

それがいつごろから崩れ始めたのかな。

2005年ごろ“Web2.0”という言葉が聞かれるようになり、ブログサービスが台頭しはじめ、Googleのサービスがはじまったくらいから、ちょっとずつはじまっていたのかもしれません。

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ちなみにモモさんが『気づきのML』に入ってきたのは、メーリングリストができてから3~4カ月後のことでした。モモさんが作っていた田舎暮らしのホームページを見たSさんから声がかかったと。モモさんは『気づきのML』がどういう人たちの集まりなのかも知らずに、その他のたくさん入っていたメーリングリストの1つくらいにしか認識していなかったと思います。ただ、モモさん曰く、『気づきのML』は他のMLとはまるで違うものだった…と今でも言っています。

インターネットがあったからこそ出会え結婚できた私たちですが、今のインターネットのしくみではたぶん私たちは結婚していなかったでしょう。

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