広島から『平和』について考える

約1ヶ月前に広島の東部にあるモモさんの親戚の家まで行くことになり、

それならばせっかくの機会だからと、広島平和記念資料館平和記念公園も見学に行くことにしました。

家ではお出かけの前は大抵テーマを決めて、何について学ぶんでくるかを事前に予習していきます。

今回も家族で太平洋戦争を解説しているDVD(10巻も!!)を見たり、戦争・原爆・資料館の写真集や戦争の体験記などをあらかじめ読んで行きました。

※ちなみに、子どもたちが小さい頃から原爆では絵本の「ピカドン」や東京大空襲が題材の「猫は生きている」は、家にある絵本の中で怖い絵本と感じていたようです。いろいろな意見があることは承知していますが、我が家では積極的にこのような本を子どもたちに与えてきました。あと「はだしのゲン」も。

私たちが資料館についたのは10時前でしたが、シルバーウィーク中だったこともあってか、たくさんの見学者が後から後から訪れていました。

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館内もすごい混みようでゆっくりと見学しずらかったです。そして思っていたよりも小さいお子さんづれの方も多かったです。他の観光地以上に、海外からの見学者も多いように感じました。

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展示物については直接自分の目で見て確かめたほうがいいと思うのであえて触れません。

私と第一子は刺激が強いだろう展示物はあらかじめ写真集で見ていたのでそれほどショックを受けるようなことはなかったのですが、12歳の第二子はもともと医療系テレビも苦手なので、多少気分が悪くなったようです。出口で少し休憩しました。第一子は「禎子さんの折り鶴」の話が一番心に響いた…と、戦争によって家族が壊されるのがとても堪えた…と家に帰ってきてから言っていました。第三子は展示されていた服や持ち物から戦争のむごたらしさを感じたようです。館内を1時間半くらい見学したあと外にでてミュージアムショップに立ち寄り、公園内を巡ることにしました。第四子はミュージアムショップで購入した子ども向けの本を早速何冊も繰り返し読んでいます。あとから意味がだんだんわかってきたようです。

 

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安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑の前で合掌。

たくさんの方が慰霊碑の前で手を合わせていました。

 

その後は公園内のガイドマップを見ながら、供養塔や像、記念碑など一つ一つ見て回りました。

お昼近くになり末子がぐずりだしたので観光案内所が入っているレストハウスで休憩。

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ちょっと回復したところで歩き回ろうとしていたところ、ボランティアらしいおじさん(Mさん)から声をかけられました。

さっきからいろんなところ見て回っているみたいだけれど、ガイドブックにはでてない話たくさんあるよ。教えてあげる」って。第一子が中学3年生だと言うと、「君にぜひ知ってもらいたいことがある。クイズにして出すからあててみて」と、普段修学旅行生を相手にしているのでしょう。いろんな裏ネタを考えさせられながら、教えてくれました。

 

そして、事前に予約していないと見学することができないレストハウスの地下も案内してくれました。爆心地からの距離170メートルで、たまたま地下室にいたために生き残った方が1人いたそうです(その方も現在は亡くなられています)。現在は壁の上の方に窓が付けられていますが、見学者のために後からつけられたものだそうです。

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レストハウス前の「元安橋」から原爆ドームを見たところ。この「元安橋」の電燈の台座の石も被曝しているそうです。右隣の白い石よりも黒っぽく見えませんか。

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韓国人原爆犠牲者慰霊碑。Mさんに聞くとこの慰霊碑もとは違う場所にあったそうです。が、「平和記念公園の外にあるのは民族差別だ」という声がでて、公園内に移設されたそうです。

参考:ひろしまナビゲーターhttp://www.hiroshima-navi.or.jp/sightseeing/hibaku_ireihi/ireihi/4330.php

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この韓国人原爆犠牲者慰霊碑のちょっと隣に日本の原爆供養塔があります。

日本の慰霊祭は8月6日ですが、韓国の方は8月5日でお供え物もそれぞれがそれぞれにお裾分けをしているそうです。

 

原爆の子の像。Mさんによると周りのブースの千羽鶴は修学旅行生がたくさん来ると2週間でいっぱいになってしまうとのことでした。この千羽鶴たちは、いままではノートに再生して配られていたらしいのですが、今後は広島市内の学校で卒業証書としても生まれ変わるらしいです。

参考:広島市 – 折り鶴に託された思いを昇華させるための方策について(最終とりまとめ)http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1392358521429/index.html

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平和の灯」と「平和の池」。Mさんが、「この火はどうしたら消えるのか?」と突然聞いてきたので、何も知らなかった私は物理的に火を消すことが頭に浮かんだのですが、第一子はすぐに意味がわかったようで「核兵器がなくなったら?」と答えていました。Mさん曰く、この台座の形は手のひらをひろげた形になっていて火が消えると合掌する形に変わるのだとか…。

池にもお金を入れる人がいるらしいのですが、それはやめてあげてと。「平和の池」の水は、水を求めて亡くなった原爆の犠牲者の方々のためのものなので「自分の飲もうとしているコップにお金がはいっていたら嫌でしょ、だからいれないでね。」って教えてくれました。

参考:ひろしまナビゲーターhttp://www.hiroshima-navi.or.jp/sightseeing/hibaku_ireihi/ireihi/4364.php

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平和の時計塔。原子爆弾が投下された時刻とされる8時15分に「ノーモアヒロシマ」を強く訴えるために毎朝チャイムが鳴るそうです。調べてみたところ確認は取れなかったのですが、Mさんからこの形は“きのこ雲”を表現しているんだよ、と教えてもらいました。

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平和の鐘。ここではMさんからたくさんの質問が。

鐘に描かれている地図はふつうの地図とは違う所が1つあります。どこでしょう。

撞木を打ち付ける部分(つき座)にあるマークは何のマークでしょう。

つき座の反対側の丸い部分はなんでしょう。

簡単な人には簡単ですが、わからない人にはなかなかわからないものですね~。

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こちらの鐘、ならすのにコツがいるそうです。撞木をたたきつけるのではなく、撞木についている紐をひっぱってその紐を放した反動を使ってならすとキレイに 響くそうです。(思いっきりたたきつけて撞木を割ってしまう方もいるそうで、そうすると2週間は鐘がつけなくなるのだとか…。)

 

Mさんには、平和記念公園から少し離れた爆心地(下の写真)や旧日本銀行広島支店現存する被爆建物の一つ)などにも連れて行ってもらいました。

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原爆ドーム

Mさんが「原爆ドームはドームの部分がある物で覆われていたために、形が崩れずに残ったんだけど、それはなんでしょう。君たちの手のひらに収まる物…」って子どもたちに質問してきました。

私はすぐに気づいたのですが、、第一子がしばらくしてから「お金?10円玉?銅?」って。

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屋根の部分が、銅板だったためにすぐに溶けてしまったので爆風が上から下に通り抜けて建物の崩壊が免れた、とのこと。

参考:ひろしまナビゲーターhttp://www.hiroshima-navi.or.jp/sightseeing/worldheritage/19242.php

 

このほかにもMさんから戦後70年経ったからこそ解禁になった話など貴重な話をたくさん聞かせてもらいました。

Mさんは佐々木禎子さんと同じ年に生まれたそうですが、たまたま原爆が落ちた日は広島市内から離れたところに行っていて被曝されなかったそうです。子どもの頃は原爆ドームの周りでもよく遊んでいたとか。周りの人は原爆症で亡くなられた方も何人もいるとおっしゃっていました。Mさん自身、体があまり丈夫でないとおっしゃられていたのですが、たぶん自分が生かされている使命感から、亡くなられた方たちの思いを伝えるために、私たちのような広島を訪れる者を相手に、ボランティアで自分の知っている話をしてくださっているのだろうなぁと思いました。

 

*    *    *

今回の広島行き直前には、安全保障関連法案の強行採決が参議院でありました。

その様子をテレビやネットの記事で見ていた第一子は、これから日本がどのように変わっていくのかをとても心配している様子でした。しかも楽しみにしていた誕生日プレゼントの受け取りも拒否したり、ケーキも食べないといい出したので、母もびっくり。内心ハラハラしていたのですが、モモさんに言うと「第一子にとって一番の誕生日プレゼントになったのではないか?」と。「第一子のように日本の未来を心配して動き出している若者もたくさんいる。日本中に仲間はたくさんいるんだよ…」って話をすると、第一子もちょっとほっとしたようでした。

原爆で、戦争で、亡くなられたたくさんの方たちが、未来の今を生きる私たちに、一番に望んでいることはなんでしょう。

「平和な世の中にするために私たちがしていかなければいけないこと」を改めて考えるいい機会になりました。

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