2009年8月 | 今日もいい天気のブログ記事

8月だというのに、寒い!!
先週末あたりから、とくに夜はかなり寒くなりました。
ここ3日ほどは、昼間でも半袖ではやや寒いです。
なのに、子どもたちは寒くない様子。夜でも、おなかを出して寝ています。
とくにリリコが暑がり。
子どもたちにつきあっていたら、パパが風邪気味に。
あ、インフルエンザじゃないっすからね。

大豆をかき混ぜる

大豆をかき混ぜる

大豆を布でこす

大豆を布でこす

豆乳

豆乳

おから

おから

型に入れる

型に入れる

水につける

水につける

工作、料理大好きのゴン太、『6年生の自由研究』という本を図書室で借りてきて、豆腐作りに挑戦。

大豆をミキサーで砕き、熱を加えながらよーくかき混ぜます。大豆が多すぎてミキサーが発熱!大豆を半分にして作業続行。

続いて、それを布でこします。これによって、豆乳とおからに分離。豆乳ににがりを加えて、加熱。型に入れて、整形した後、水につけてにがりを抜きます。

そして豆腐のできあがり。やや苦みが残って、娘たちには評判がよくなく、ゴン太はしょげていましたが、大人には素朴な豆腐と感じられ、けっこういけます。というと、ゴン太はにっこり。

おからはクッキーに。これは娘たちにも大好評。トウコまでが争奪戦に参加!

本には、分量など記載されておらず、にがりの量や加熱時間を間違えたそうですが、工夫してやり遂げました。ちゃんと書いていてくれないと怒るのは、「教えてもらう」受け身の証拠。まちがえてもいいじゃない。なんとか工夫することが大事。だから、今日のゴン太は◎。それにつきあったママもね。(^_-)-☆

ところで、ゴン太にとって、3年生の自由研究は易しすぎてつまらないそうです。易しすぎるというのは、工夫の余地が少ないという意味のようです。

学習指導要領で、学年ごとに習う事項、習得すべき事項が定められていますが、子どもの興味、関心、理解度は、必ずしも決められたとおりには進みません。しかし、学校教育の中にあっては、半ば強迫的に、決められた進度のとおりに進まないといけないかのように錯覚します。

それはまた、進度以上の関心を持った場合に、図らずも子どもの意欲をおさえることになりがちです。「あなたには6年生の自由研究はまだ早いの。そんなことをするぐらいなら漢字のドリルをやりなさい」と。

それは良くない。ぜったいに良くない。男の子を去勢するに等しいです。

「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」ってCMが、私の子どもの頃はやりました。今はそういうの、だめなのかなぁ。はみ出したっていいやんか。やんちゃしたっていいやんか。失敗したっていいやんか。だって、男の子だもん、わかって!(ちょっとちがうか、>アタックナンバーワン)

子どもたちは自由すぎてダメになったという評論もよく見ますが、管理しすぎてダメになったという見方もできるのではないかな。

豆腐

豆腐

クッキー

クッキー

夜の散歩は、男の時間。

こないだは、パパから基礎と応用の話を切り出しました。

夜の散歩で語り合うパパとゴン太。肝試しじゃないってば。

夜の散歩で語り合うパパとゴン太。肝試しじゃないってば。

ゴン太は、計算とか、漢字とか、問題集とかが好きではありません。っていうか、ほとんどの子どもはそうですね。

いっぽうで、読書とか、工作とか、自然観察とか、世の中の仕組みとか、そうね、物事の仕組みを考えることはめちゃくちゃ大好きで、パパとママもその好奇心にはできるだけこたえてやりたいと思いつつ、すでに親がついて行きかねる状態も。

ゴン太が苦手な勉強は、「基礎」と言われる部分です。基礎、基本が大事と、昔も今も言われます。そのことに間違いはありません。

かたや、パパが若い頃、「日本人は応用がダメだ」とよく言われました。ゆとり教育よりはるか昔、詰め込み時代の話です。応用というのは、何も難しいことではなく、自分が知っていることを組み合わせたり工夫したりして、新しいことを見いだすことです。

基礎、基本をいくらばっちりやっても、応用ができるようになるとは限りません。定期テストはよくできるが入試はダメ、という子は多いです。基礎、基本だけで必然的に応用ができるなら、こういったねじれは生じないはずです。しかし、現実には、そうではない。

かといって、基礎、基本をおろそかにして、応用まがいにかぶれると、テクニックに走ります。これまた、応用力が身につきません。

学校教育は、自分で考えるとか、自分で工夫するとかいうことが、欠落しています。(かなり断定的な表現ですが、総論として、間違ってはいないはずです)

学校教育で育つ子たちが、応用を苦手とするのは、避けがたい事実でしょう。

ゴン太にこう語ると、ゴン太は、「なんで応用が苦手なの? こんなにおもしろいことはないのに!」とビックリしていました。

自分で考えたり、工夫したり、失敗したり、やり直したり、という作業は、とても知的で、インテリゲンチャで、刺激的で、魅力的です。なのに、学校教育は、答えも過程も用意し、子どもにそれをトレースさせようとします。意欲をなくすのは、必然でしょう。

では、応用力をつけるのに何が必要か。ありあまる自由な時間と、ありあまるくだらない素材と、結果を求めないおおらかさでしょう。創造には、失敗がつきものです。数限りない失敗をさせてあげねばなりません。また、答えに最短のキットを与えては無意味。くーだらない素材をいっぱい与え、無意味を組み合わせて意味をつくり出す。無駄、無理、無茶。3つの無が、応用力の基本です。

わが家はホームスクーリング。まさにこの3つの無を実現しています。それは、お金のかかることでもなく、特別なスキルが必要なことでもない。与えすぎると堕落する。欠乏が子どもを育てる。ハングリー イズ ザ ベスト!!

今の日本人、とくに日本の学校教育に最も欠けている、致命的な要因は、ハングリー精神ではないか。あまりにも与えられることに慣れすぎて、与えられることを当然と思いすぎているから、とめどなく競争力を失い、国力が陥落していることさえ認識できないほど惨憺たる状況になってしまっている。

とはいえ、日本人の全てがダメなのではなく、そういうハングリー精神を持っている人、持とうとしている人、持たねばならないと意識している人たちは、確実に増えているようです。日本は、今後、まだまだ落ちるでしょう。しかし、どこかでハングリー精神を取り戻し、復興を遂げる日がきっと来るでしょう。わが家の子どもたちには、ハングリー精神を育てたい、と思っています。それこそが、「応用」の原点だと思います。


タイトルが変? そんなことないでしょう。

運動を兼ねて、パパは仕事から帰ってから夜中に犬を連れて散歩しています。いつも、ゴン太が一緒に行きたがります。トウコも行きたがります。たまに、ママとチャコとリリコもいっしょに行きます。

肝試しではありません。パパとゴン太とトウコが夜の散歩。トウコは歩き疲れてパパが抱っこ。

肝試しではありません。パパとゴン太とトウコが夜の散歩。トウコは歩き疲れてパパが抱っこ。

娘たちは、3人ともパパ大好きです。とくに、チャコとリリコが激しくパパを奪い合います。パパは両手に花で、ハーレム気分・・・なんかではなく、おんぶに抱っこに飛行機にブランコにジェットコースターと、ほとんど遊園地状態です。それでも子どもたちが大好きなパパは、老化の進む身体にむち打って、がんばっています!! あゝ、のわんてけなげなパパかしら!!

となると、ゴン太とじっくり男同士の話をする機会が少ないです。夜の散歩は、まさに、パパとゴン太の、男同士の時間。

ゴン太は、工作や自然や生き物や機械が大好きですが、それはまさにママの苦手分野。ゴン太はパパとじっくり話したい。パパも、ゴン太の成長がうれしくて、人生の機微を語ったり、成長の後押しをしてやりたい。まさに、相思相愛の男の時間です。

そこで語られる事柄を、記録として残していきたいものですね。

うちの子はホームスクーリングなので、日ごろ、近所の子たちと遊んでいるわけではありません。しかし、様々な子どもたちと遊ぶ機会は少ないわけではありません。むしろ、学校へ行っている子たちは、クラスの中でのつきあいに限定されがちですし、その中でも仲良しグループのつき合いに限定されがちです。うちの子は、そういう特定のグループとばかり遊ぶわけではなく、だれとでもすぐに仲良くなって一緒に遊び始めるという「特技」が身についてきました。

ゴン太が通っていた保育園

ゴン太が通っていた保育園。歩いているのは、じぃじとばぁばとチャコ。

ところで、ゴン太は2歳から5歳にかけて、じもとに保育園があり、そこに通っていました。全児童数6名程度の小さな保育園でした。地域の子の数がその程度なのです。ゴン太はその保育園で、とても楽しく過ごしました。6歳になった時、小学校と保育園がなくなり、以後、ホームスクーリングです。

ゴン太を見ていると、ホームスクーリングであるがゆえに、派閥やグループやクラスや班といった枠に閉じこもることなく、のびのびと人間関係を自由自在につくって行っています。それはホームスクーリングをやっててよかったとしみじみ感じる部分です。かたや、学校に行っている子たちの全員ではないけど多くの子は、なにかしら自分のまわりに「枠」を設定しているようです。私はその雰囲気を強く感じます。ゴン太もそう感じるようです。「あの子たち、変わってしまった」と言っていました。

その変化は、「成長」という類のものとはちょっと違います。「自分」を薄めて「枠」に同化していくような、そんな変化です。ふっと思うのだけど、学校へ行っている親子は、そういう変化を感じないかもしれません。むしろ、そういう変化を「社会性」と考える人さえいるかもしれません。世界から見ると、奇異に見えそうですが。

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